オレには、ひとつ年下の恋人がいる。
「太一さん……いただきますね」
遠慮がちに、だけど確かに。目の前にいる恋人は、オレの目を射抜くように見つめながら言った。
「ああ。好きなだけ、吸っていいぞ。……光子郎」
光子郎の鋭い犬歯が、オレの首筋に喰い込む。オレは思わず「うっ」っと呻いてしまう。
「……っあ、こう、しろ……んっ」
血を吸われている最中、顔を見ることはない。オレの首筋に、光子郎の顔が隠れてしまうからだ。
「ぅぁ……んぅ……ぁあ……」
吸血されていくうちに、全身の力が抜けていき、オレは自然と光子郎に寄り掛かっていた。
それから数刻。
「……たいちさん……太一さん!」
オレは少しの間ぼうっとしていたけれど、光子郎の呼びかけで我に返った。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。終わったのか?」
「はい。でも……もしかして、また、吸い過ぎました……?」
不安そうに見つめてくる瞳にオレは「大丈夫だから、心配すんな」と声を掛ける。
「その、フォローになってるか分かりませんけど……いつも通り、止血はしておきましたので」
「あ、ああ。サンキュ」
言われてオレは、さっきまで光子郎に噛み付かれていた場所をさすった。鋭い犬歯で血が吸えるほどに傷が付いたはずだったのに、血の一滴も滲み出ていない。
光子郎の唾液は、どういうわけだか止血効果があるらしい。オレの血を吸った後、噛み付いた部分をやたら舐めているのだけど、ピタリと血が止まっているから、確かな効果なのだろう。
「じゃあ、行くか」
「はい」
登校前の日課が終わったオレと光子郎は、学校に向かって歩き始めた。
*
オレの恋人である光子郎は、吸血鬼だ。
オレがあいつの親だと思っていた、おじさんとおばさんは、養父母で、おじさんーー光子郎の父さんーーが光子郎の本当の父親の遠縁なんだそうだ。
本当の両親のうち、母親が吸血鬼で、父親は光子郎の本当の母親に惚れ込んで、眷属にまでなったらしい。
その夫婦から生まれたのが光子郎だったのだけれど、あいつが生まれて間もない頃にヴァンパイア狩りに遭って、夫婦揃って命を落としてしまったそうだ。
光子郎のおじさんとおばさんは吸血鬼ではないけれど、まるでお伽話のような実話に感化されたのと、同時期に生後間もない実子を亡くしてしまったことから、光子郎を引き取って育てることにした……と、オレと恋人付き合いを始めてから光子郎が打ち明けてくれたんだ。
幸い、あいつの本当の両親が亡くなる寸前に光子郎を守る策(あいつは細かく説明してくれたのだが、オレにはよく理解できなかった)を行使したおかげで、光子郎の身には何事も降りかからずに済んでいるようだ。
だけど……いつあいつを狙う輩が現れるかどうか分からない。そう。オレは光子郎をつけ狙う奴らから、あいつのことを守ってやりたい。そう思っているんだ。だけど……。
最近のオレは、常に貧血で、気付いたら保健室のベッドの上だったり、光子郎の部屋のベッドの上だったり……。
オレを心配してくれた保健室の先生からは「八神くん、ちゃんと精密検査を受けたほうがいいんじゃない」と言われたけど、まさか「オレが倒れるのは、光子郎に血を吸われているせいです」とは口が裂けても言えないし、そもそも信じてもらえるはずもないんだ。
この件で光子郎には「すみません」と何度も謝られるけど、オレは「気にするな」以外何も言えなくなってしまう。だってオレは、光子郎が好きだから。好きなやつが望むなら、オレに出来ることがあれば、何でもしてやりたいって思うから。血を吸いたきゃ喜んでこの身体を差し出すし、あいつを狙うハンターから、身を挺しても守ってやりたいって思うのは当然のことだ。でも、肝心な時に貧血を起こしちゃ、どうにも出来ない。
(あいつに血を吸われても、貧血を起こさないでピンピンしていられる策はないのか……)
これがオレの、ここのところの悩みだ。
ちなみに光子郎も近頃、悩んでいることがあるらしい。それは……。
「いつか太一さんは、ぼくより先に死んでしまうから、いや……先に殺してしまってぼくの眷属にしてしまえばいいのか?」
と、いうこと。要は寿命差の問題だ。
頼むから物騒なことを考えないでくれと願っているけれど、ひとつ年下とは言え、普通の人間より遥かに永い時を生きるらしい光子郎と一緒にいるためには、真剣に考えなきゃいけない問題だ。
オレ個人としては。吸血鬼の親族もいなくて独りぼっちの光子郎のために、眷属になってもいいと思っている。だけどそれすなわち、人間としてのオレは一度死ななきゃいけないってことだ。
そんなこと、誰の相談もなしに決めることなんて出来るわけがない。
(絶対ヒカリには泣かれるだろうなぁ。あと父さんと母さんにも)
ヒカリには「お兄ちゃん、光子郎さんが好きだからって早まらないでよ」って言われそうだし、父さんと母さんに至っては光子郎と付き合うことも禁止されてしまいそうだ。
ところがある日、オレは不穏な話を耳にした。
昼間、光子郎に吸血されて怠くなってしまったオレは、今日は疲れたから一足先に寝ると言って自分の部屋に引き籠った。その日、父さんや母さん、ヒカリの様子がなんだかおかしくて、オレはそっと、自分の部屋のドアに音もなく耳をつけて、話を聞こうとした。すると。
「ねえお父さん、ヒカリ。太一にいつ、あの話を切り出そうかしら」
「そうだな」
「少なくとも、お兄ちゃんが光子郎さんと会わない日のほうがいいんじゃない?」
「やっぱりそうよね。あたしとお父さん、ヒカリと……太一の種族の違いのことは」
(おいおい。あの話、っつーかなんだよ、種族の違いって! えっ、SFの世界なのかここは! というかこれ、光子郎がかつて、おじさんとおばさんの話を聞いて養子だって知った時と酷似したシチュエーションじゃないか!)
どうやら、オレのアイデンティティを覆す事件が起こりそうな予感がする。オレはとんでもない話を耳にして、その場でへたり込み、ひとり、頭を抱えてしまったのだった。