ぼくが高校二年生、太一さんが高校三年生の冬の始めのことだった。学校からの帰り道、ぼくは太一さんからあることを告げられた。
「ごめん。もしかしたら来年、遠距離になるかもしれない」
その一言でぼくは、彼が都外の遠くの大学へ進学する予定だということを知った。
太一さんとは小学校のサッカークラブで知り合って、その頃からずっとお世話になっている。なんだか気が合うせいか、中学でも一緒にいることが多かった。
そのうちにぼくは、彼のことが好きになってしまって、三年前のある日、意を決して自分の思いを彼に告白した。だけど太一さんは、ぼくを友達までにしか見れないと言って、ごめんなと謝った。
でも、それから一年ほど過ぎた頃。なんと今度は太一さんから付き合って欲しいと言われた。心のどこかで彼への思いを捨てきれなかったぼくは、彼の告白を迷わず受け入れた。
こうして、恋人付き合いを始めてからは、これまで以上に一緒に過ごしてきたけれど……いま、ぼくたちの目の前に、進路の問題が立ちはだかる。ぼくは理系の情報工学方面で(デジタルワールドの研究を続けるために必要だと思っている)太一さんは文系と、目指している進路が全く違う。だから大学は別になり、場合によっては遠距離になることも前々から覚悟はしていた。
太一さんは現在、法学部のある大学を目指して勉強している。彼は将来、外務省に入って外交官になろうとしているのだ。それも、現時点では存在しない、デジタルワールドの外交官に。
太一さんがそれを志そうとしたのには、理由がある。日々変化し続けている人間とデジモン、現実世界とデジタルワールドの関係、社会の状況からだった。
数年前の2002年末から、毎年急速にパートナーデジモンを持つ人々は増え続けている。その問題から、世間や世界中の人々のデジモンに対する関心は、年々強くなってきていた。ぼくや太一さんを始めとする選ばれし子どもの仲間たちも、現状を黙って見ていたわけではない。でも、いくら協力し合い、連携したとしても、ぼくたちに出来ることには限界があるし、生じる問題が徐々に国際問題へと発展していたことに、太一さんは思うところがあったらしい。
ある時太一さんがぼくに「デジタルワールドに外交官がいたら、何か変わるのかな」と話をした事があった。
それを聞いたぼくは、彼がその言葉の通り、外交官を目指すつもりなんじゃないかと勘づき始めていた。それからほどなくして、太一さんに打ち明けられた。デジタルワールドと現実世界、デジモンと人間を結ぶ外交官を目指すことを。
余談になるけれど、外交官になるには、外務省への入省が必須だ。外務省職員は国家公務員で、難しい国家公務員試験をパスしなければならない。そして、外務省で国を動かすような高官は、日本でも有数の大学出身者が多い。そのような有名大学は東京や首都圏に集中して存在する。しかし、日本の各地方にも名門大学は存在している。だから太一さんは……関東圏ではない、何処かの地方へと行くつもりなんだと思っていた。そう、ぼくとは遠く、離れたところに。
「大学……どちらの予定ですか?」
「京都」
「えっ? 京都ですか?」
思いがけない返事に、ぼくはその場に立ち止まり彼に聞き返した。
「ああ。今度のセンターで、京都の大学受験する」
そう言って太一さんは、立ち止まったぼくを見つめ、意味深な笑みを見せた。
彼が言う京都の大学とは……。恐らくと言わなくともきっと、ぼくと同じ志望校だ。何故それが分かるのかというと、彼が志望する進路で法学部となると、該当しそうな大学は、京都府内にはぼくの志望校の国立大とわずかな私大しかない。それに、太一さんの見せた笑み……最早答えを言っているのと同じだとぼくは思った(ちなみにぼくは、空さんのお父さんの武之内春彦教授や丈さんの二番目のお兄さんの城戸シュウさんがいる大学で研究したいから、そこを目指している)。
昔の太一さんは勉強嫌いで、毎日サッカーに明け暮れていた。しかし彼は、小学生の頃からチームの司令塔を任されるほど、とっさの判断力や洞察力に優れていた。目上の人に対する立ち振る舞いもしっかりしていて、その上、面倒見がよく優しい彼のことを、ぼくはずっと尊敬していたんだ。
太一さんを追いかけるように、ぼくが彼と同じ高校に進学してから、休みの日やテスト前は一緒に勉強をした。太一さんの分からないところをぼくが教えると、彼は比較的すぐに理解していた。そして次のテストではいい点を取って、嬉しそうに報告してくれる。太一さんは「おまえの教え方が上手いからな」と言ってくれるけど、彼はもともとの頭が良く、これまでの勉強のやり方が良くなかったのだということをテストの度に思い知ったのだ。
そんな太一さんは高校二年生の夏から、部活を続けながらも、前以上に一生懸命に勉強するようになった。それに伴って偏差値もぐんと上がり、中学時代とはまるで別人のようだった。
三年生になってからも、目標に向かってより一層勉強に励む彼を見て、ぼくは嬉しさと同時に寂しさを感じていた。
太一さんが頑張れば頑張るほど、これまで以上に遠い存在になってしまいそうで、ぼくは不安だった。
太一さんに憧れて、彼のようになりたくて。彼に見合うような人間になりたくて、ぼくは自分なりに努力してきた。自分が頑張る原動力のために、彼と同じ高校に進学したくらいに。
けれど、ここから先はそうもいかない。ぼくと太一さんの将来のためなら、ここで学校が離れてしまうのは仕方がないことだと、自分をなんとか納得させていた。
ところが、さっきの「京都」発言に加えて太一さんはこう言った。
「光子郎の志望大はそっちだったろ? そこにはちょうど、オレが志望する学部もあるしさ」
さらりと言ったその言葉に、ぼくは動揺を隠しきれなかった。
「えっ、太一さん。だってあの大学は」
そう、ぼくも現役で受かるかどうか分からない難関大学なのにーー
ぼくが思わず口を挟むと、すかさず太一さんが遮った。
「オレには受からない、って言いたいのか?」
「いや、でも……だって」
俯いて口ごもると、太一さんは。
「甘く見くびられちゃ困る。オレにとって、おまえの志望校以外は興味がない。……って言うのはちょっと大袈裟かな」
最後に少しおどけた後、太一さんは話を続けた。
「いつも光子郎には助けてもらってばかりだから、おまえが困った時、助けられるようになりたいんだ。それにオレ、おまえに見合うようになりたいとも思ってる」
「ぼくに……? どうしてですか」
「恋人と学力差があるのが個人的に嫌だからだよ」
太一さんは苦笑いを浮かべていた。
「オレはな、自信を持っておまえの隣に立っていられるように、頑張りたいんだ」
思いがけないことを言う太一さんのことを、ぼくは惚けながら見つめていた。
「光子郎はこれからもずっと、デジタルワールドの研究を続けるんだろ?」
太一さんの質問に、ぼくは我に返ってそのつもりですと答えた。
「近頃の世間のデジモンに対する様子はちょっと気になるし、心配だけどさ。何があろうと、おまえのやりたいことはオレが絶対に守ってやりたい。……いや、守ってみせる。そのためには努力を惜しまないからな」
太一さんはいつになく真剣な表情を見せていた。
「もし、オレが外交官にならなくとも、いい大学を出て損することはないだろうし、勉強がこの先の道を開いてくれるとも思うしさ」
言い終わると太一さんは、ぼくに向かってニッと笑った。
彼の言葉はぼくにとって、恐れ多い言葉ばかりだった。
出会った頃から太一さんは憧れの人で、ぼくのほうこそ、彼に見合うような人間になろうと思って必死なのに。ぼくの助けになりたいだなんて、ぼくの夢を守りたいだなんて。ましてやぼくに見合うようになりたいだなんて。それこそ夢のようなことを言われてるみたいだった。
「まあ、なんだ。ごちゃごちゃ言ったけど……オレは単に、好きなやつの力になりたいだけだ!」
照れたように笑いながら、太一さんは胸を張った。好きなやつ、という言葉にぼくは胸が熱くなった。そして、太一さんのその気持ちが嬉しいと思った。
「そうだ」
「?」
「オレたちが同じ大学に通うことになったら、学校がまたお揃いになるだろ? それってすげー恋人らしいじゃんか」
「……!」
さっきまでの空気を一変する惚気。それを聞いた瞬間、ぼくは思わず顔が火照ってしまった。
*
「オレが先に京都に行って、光子郎が再来年受かったらさ、向こうで一緒に住まないか?」
ぼくの家のあるマンション前で、別れ際に太一さんからそんな提案をされた。
「同じ大学に通うなら、オレとおまえが一緒に住む理由も出来るだろ?」
自信たっぷりに言う彼に、ぼくは少し吹き出してしまった。
「いいんですか? ぼくはおろか太一さんだってまだ受験していないのに」
「いいだろ、別に」
太一さんは不服そうにした。
「光子郎はオレと一緒にいたくないのか?」
「いいえ」
ぼくは即座に否定した。そして彼に、自分の素直な気持ちを伝える。
「ぼくも、あなたと一緒にいたいです」
すると、太一さんは何も言わずにぼくを抱きしめてきた。
ぼくは内心慌てた。
「あっ、あの……誰が見てるか分からないし」
「誰も見てないさ」
「で、でも……太一さん」
「光子郎」
耳元で名前を呼ばれ、ぼくは身体の熱が上がるのを感じた。そして。
「ありがとな」
囁かれた彼の言葉に、ぼくのほうこそお礼を言わなくてはいけないと思った。
「こちらこそ……ありがとうございます」
彼の背中に手を回しながら、ぼくは彼の胸に顔を埋めた。
「それじゃ、約束だぞ?」
太一さんの両腕に包まれながら、ぼくは彼に「はい」と頷いた。
それは2006年の冬の出来事だった。その後、猛勉強を続けた太一さんは、現役での合格を見事に果たし、一足先に京都へと発った。
それに続けとぼくも一年間勉強を頑張った。
ぼくたちが京都でルームシェア、もとい同棲を始めるのは、翌々年ーー2008年の春のこと。