また今年も8月1日がやってくる。
いつか出会った未来へ
2018年7月中旬。ニューヨークの昼下がり。
「ふああぁ……」
セントラル・パークにあるベンチに座り、八神太一は大きな欠伸をしながら、スーツに身を包んだ身体を伸ばした。
太一の隣には彼のパートナーであるアグモンがいる。昼食を終え、うつらうつらと居眠りを始めていた。
あの夏の日から、19年。
そして、みなの運命がフルスピードで動き始めた春の日から16年の歳月が流れていた。あの日の子供達はみな、とうに成人し、それぞれに向き合うべき問題へと立ち向かっている。
大学卒業後、デジタルワールドと現実世界を繋ぐという決意を胸に、太一は難関である試験を突破し外務省へ入省した。
各部局で何年か経験を積んだのち、外務省内でデジタルワールドの部署を発足する際に、デジタルワールドの実態を知る者として運良く配属になった。
しかし現在、太一はニューヨークにて、国連の仕事に携わっている。それに加え、本省からの要請でデジタルワールド政策の対応に日々追われていた。
太一はぼんやりとニューヨークの空を見上げながら、つぶやいた。
「今頃、みんなはどうしてるかな」
かつて、ともに過ごした仲間たちとは久しく会っていない。その中でも割と連絡を取るのは、幼稚園教諭で保育の研究者でもある妹の八神ヒカリ、職種が違えど、同じ畑で働いている、デジタルワールド研究者の泉光子郎、初のデジモン専門医となったばかりの城戸丈、警視庁に新たに設置されたデジモン犯罪を取り締まる特捜部へ配置になった一乗寺賢だ。
それ以外の仲間たちも、仕事でデジモンに携わらずとも、現在の現実世界とデジタルワールドの関係を心配している。
特に宇宙飛行士となり、NASAとJAXAを行き来している、太一の親友である石田ヤマト。彼は、ガブモンとともに人類とデジモンの進化の鍵を探りに、宇宙へ調査に行きたいと熱く展望を語っていたが、その実現にはまだまだ程遠い。
(世の中、上手くいかないことばかりだけど、当然だよな……)
あの頃、無限に広がるように見えた未来も、今や先が見えている。
いや、むしろ先など見えやしない。
太一が深いため息をつくと同時に、ポケットに入れていたスマートフォンに着信があった。画面を見ずに電話を取ると、耳慣れた懐かしい声が飛び込んできた。
『お兄ちゃん、久しぶり』
そう、相手は彼の大切な妹からだった。
『今、電話してて大丈夫?』
「おう、大丈夫だ。久しぶりだな、ヒカリ。元気にしてるか?」
『うん、元気よ。お兄ちゃんは?』
「まあまあ、かな。少し疲れてはいるけど、このくらいどうってことないさ」
『んもう、相変わらずなんだから。お兄ちゃん、無理しないでよね』
「わかってるって」
苦笑しつつ、身体に馴染んだやりとりに太一は嬉しさを覚える。
「そういやこの前、おまえの論文見たぜ。あれは凄い大作だな」
兄の言葉に妹は驚いた声を上げた。
『どうして知ってるの?』
「光子郎とタケルが、それぞれ別ルートで教えてくれてな」
デジタルワールド研究の第一人者として名を知られるようになった光子郎は、デジモンとデジタルワールドに関連する研究論文は大小問わず、全てに目を通している。そこで、ヒカリの書いた論文を見つけ、彼なりに気を利かせて太一に報告したのだ。
「ヒカリさんの論文、きっと太一さんへの援護射撃ですね」とのコメント付きで。
一方、ヤマトの実の弟である高石タケルは、小説家「高石岳」として活躍中だ。それに加え、別名義を使い副業でルポライターをしている。その副業の取材中に偶然ヒカリの論文を目にし、内容にとても感動して太一に知らせたらしい。
ちなみに、ヒカリの研究論文は「人間の子供と幼年期デジモンの相乗成長効果について」。人間の子供と幼年期デジモンは長い時間共に過ごすことで、互いの成長に良い影響を及ぼし、非常に有用である、というものだ。緻密な検証とデータにより、デジモンの存在は害悪であるという論者を黙らせ、保育学会、現場の間で事あるごとに話題になっている。
そのことを聞かされたヒカリは、自分が何も言わずとも兄がそれだけ知っていたことに驚きつつも、嬉しそうに笑っていた。
『ところで、お兄ちゃん。今年は帰国できそう?』
唐突に変わった話題に太一は首を傾げながら「え? なんで」と言った。
『なんでって、もうすぐ……8月1日じゃない』
その一言で太一は直ぐに理解した。
「ああ、もうそんな時期なのか」
仕事に忙殺され、うっかり失念していたのだがーー
そう。また今年もあの日がやってくる。
そのことを思うと、胸に熱く込み上げてくるものがあった。だけどーー
太一はその思いを隠しながら、電話の向こうの妹へ返事をした。
「すまない。いま担当してる国連の仕事が終わらなくてさ。残念だけど、今年も帰れない」
『そう……そうだよね』
「ごめんな」
『ううん、いいの。無理なこと言ってごめんね。お兄ちゃん、今が正念場なのに』
どんな時も自分のことより他人を気にかける、優しい妹。明らかに落ち込んだ様子のヒカリに太一は優しく慰めの言葉をかけた。
「ヒカリが気にすることないさ。正直オレも、ヒカリやみんなの顔を見たいとは思ってるし。帰れそうになったら連絡するから」
『うん、わかった』
兄の気持ちを汲んだ妹は『楽しみに待ってるね』と彼に伝えた。
「元気でやれよ。身体には気をつけてな」
『ありがとう、お兄ちゃん』
じゃあまた、とお互い声を掛け合い、太一は少し名残惜しそうにして電話を切った。
「……うし。オレもまだまだ踏ん張らなきゃな」
昔みたいに、簡単にはいかない。世の中は、世界は単純ではない。
そのことが意味するものーー人類とデジモン、現実世界とデジタルワールドが、それだけ近くなったという証拠なのだ。
デジタルワールドと自分たちの関係は未だ不安定で、あの日夢見た世界にたどり着くまでには時間がかかるだろう。だけども。
「休憩は終わりだ。いくぞ、アグモン」
太一はうたた寝中だったパートナーへ声をかけた。
「えっ? ……ああ、うん!」
夢見心地だったアグモンは慌てて飛び起き、太一の後を追いかけていった。
どんなことがあろうと、今日もぼくらは前へ進む。
あの日信じた、未来という不確かなものに向かって。