Side:Taichi
午前中の授業が終わって昼食の時間。オレは学食で弁当を買うと、生徒会室へ向かった。
「あれ。誰もいないな」
生徒会室のドアを開けると、中はがらんとしている。確か、空はここでメシ食うって言ってたと思ったんだけどな。
まあ、気を取り直して。5時間目は、新入生歓迎会実行委員以外の上級生は、歓迎会の出し物の準備をする。オレたち実行委員と各クラス委員は体育館で、会の流れの最終確認をすることになっている。
オレは誰もいない生徒会室で、学食で買った弁当を食べながら資料を確認する。新入生代表挨拶者のところには赤ペンで光子郎の名前がある。
それを眺めていると、本当に光子郎が月島に来たんだなあ……と思う。
今朝から昔の事を思い出していたら、受験勉強の成果を出したくて必死に入試問題を解いたことや、合格して光子郎と喜びを分かち合ったこと。卒業式で光子郎と第二ボタンを交換したことや、オレが光子郎にオレの月島の制服を着せて口説いたこと。光子郎が月島に入ることをずっと言ってくれなかったこと。光子郎とグルになってオレを騙してたみんなのことや、あの篠塚さんとサリィについて……この一年、いろいろあったなあと改めて感じた。
オレは光子郎が月島に来てくれて嬉しかったけど、でもまだ心のどこかで、本当にそれでよかったのかと、あいつに問いただしたい気持ちもある。
国立、難関私立、高専、留学――
学業が優秀な光子郎には、オレなんかより、遥かに進路の選択肢があったはずだったのに。
まだ、オレが光子郎に志望校を教えろと問い詰めていた頃。ふと、あいつが海外に留学するんじゃないかという噂を耳にした。その時のオレは不安になって、それとなく光子郎に聞いてみたんだ。留学とか考えていたりするのかって。
「マイケルとか、サリィは日本人だけど……海外にメール友達いっぱいいるだろ? それにおまえの頭なら、どこでもやっていけると思うし、海外の仲間とも上手くやってるじゃないか」
あいつのネットつながりの友達は、話を聞く限り、規格外の凄いヤツらばかりで。内心ビビリつつも、さすがはなんでも出来る光子郎の友達なんだな、とオレは感心していた。海外には飛び級で、小学生でも大学に通うような子供もいるようだし、オレの勝手なイメージだけど、なんだかよく分からない、すごい研究をするには、海外の人と一緒に研究チームを組んでいるような気がする。あと、異世界であるデジタルワールドや、デジモンを始めとする「モンスターもの」の研究は、海外の方が好んでしていそうなイメージも、オレにはある。
それに将来的には――いや、将来なんて話ではなく、現在進行形で、デジタルワールドとオレたちの世界は、関わりを深め続けている。対策が追いついているかは別にして。世界中に選ばれし子ども――ゲンナイさんや光子郎が言うには、パートナーデジモンを持つ子ども、いや人々(最近は子どもに限った話ではなくなってきたようだ)が増え続けている。近頃は、歪みが発生したところから迷いデジモンが現れるという事件も多発している。人間はもはや、デジタルワールドやデジモンと無関係ではいられない、真剣に向き合っていかなくてはいけないところまで、来ているのかもしれない。
だからこそ、当事者でありデジモンやデジタルワールドのことを研究している光子郎が留学するという話が出てもおかしくはないと思っていた。
ところが。オレの疑問に、光子郎は意外そうな顔をしていた。
今、太一さんに言われるまで、ぼくは正直考えもしていませんでした、と。
「大人になったら……分からないですけど、今の時点では」
「おじさんとおばさんのことを気にしてか?」
「ええ、それもありますが……」
光子郎のおじさんとおばさん。つまり光子郎の両親はあいつの本当の親ではないそうだ。そのことを光子郎から聞いたのはいつだっただろう。少なくとも、それを知ったのはオレが光子郎と恋人付き合いを始めてからだと思う。
これまで深く考えたことはなかったけれど、昔から光子郎は、常に他人とよそよそしく接していた。オレはあいつよりも年上だし、あいつはお台場小のサッカー部時代の後輩だから、まあ当たり前かと思って、特に気にも留めていなかった。その話を打ち明けられて、光子郎が他人と距離を置いていた理由を、オレは知ることになったんだ。
あの夏の冒険の最中、ヴァンデモンの城のゲートを通って東京に戻ってきていた時、ビッグサイトでおじさんとおばさんから、その養子であることを打ち明けてもらったのだそうだ。光子郎は小さい頃に、おじさんとおばさんが本人のいない別の部屋で、そのことについて話をしていたところに遭遇し、話を聞いてしまったのだ。そのときから人知れず、その事実についてずっと悩み続けてきたらしい。
親も含めて、他人とどう接したらいいのか分からなくなって、このままじゃいけない、でも、どうしたらいいのか分からないと悩んでいたそんなとき、「太一さんと出会って、ぼくの世界が少しずつ変わっていったんです」と、あとでこっそり教えてくれた。あいつの秘密を知った時、オレは少なからず動揺した。だって、いつも優しくしてくれるおじさんとおばさんが、あいつの本当の親じゃないなんて。オレがもし、父さんと母さんの本当の子供じゃなかったとしたら、そんなことを知ってしまったなら、あんなに冷静でいられないと思うから、光子郎は本当にすごいと思う。
事実を打ち明けてもらったことにより、ずっと抱えていたわだかまりが解けたのだと光子郎は話してくれた。だけど、おじさんとおばさんに対してよそよそしくなったり、気を遣ってしまう癖は、今でもなかなか直せないらしい。
それでも、オレから見ても光子郎のおじさんとおばさんはいい人だし、光子郎のやりたいことはなんでも応援してくれるみたいだから、思い切って向こうに行くのも悪くはないんじゃないかと思っていた。
だけど光子郎は、向こうには行かないと言った。
その理由だけど、オレには検討もつかなかった。それから光子郎は、こんなふうに理由を話してくれた。
「研究というものはどこでも、誰でも出来るとぼくは思うんです。日本に居たって、中学生のぼくにだって。ぼくが一番やりたいことは、デジタルワールドの謎を解明すること。そして、増え続けるぼくたちの仲間をサポートすること。それは昔から変わっていません。自分のことだけでなく、そう思えるようになったのは、太一さんやヤマトさんをはじめとする、みんなに出会ったおかげなんです。みんなと出会ったから、そう思えるようになったんです。ぼくは勉強や調査・研究することが好きです。デジタルワールドやデジモンたちのことも、もっと知りたい。でも、ぼくは。研究だけの人生に、それだけの人生には、したくありませんから――」
あのとき、そう言って微笑んだ光子郎は、オレよりも数倍大人びて見えたし、なによりも、そう言い切れる強い意志を持っている光子郎に、オレは深く惚れてしまった。
オレより年下なのにしっかりしている。頭がよくて頼りになる。可愛いのにカッコいい。そんな光子郎はオレの自慢の恋人だ。
出来上がったばかりの月島の制服を着てオレの家まで来た日。光子郎はオレを追いかけて月島に行くことを決めたんだと、照れながら恥ずかしそうに教えてくれた。
そういえば、その時にも光子郎に言ったっけ。後悔はしてないのかって。
そしたら光子郎はこんな風に言ったっけな。「あなたがぼくの行きたい道を、先に行っていただけです」って。
ああもう、光子郎ってやつは!
自分の世界に浸っていた時、突然、生徒会室のドアが開いた。
「太一さん!」
「うおう!」
よく見ると、そこにはオレが今、語りに語りまくっていた人物がいた。
「なんだ、光子郎か」
「すみません、驚かせて。生徒会室のドア、何回かノックしたんですけど……」
「マジで? すまん、気付かなくて。いや、今ちょうどさ、おまえのこと考えててな。で、どうした?」
「太一さんがお昼、ここで食べてるって空さんから聞いたので。それと、空さんから伝言です。『ふたりでごゆっくり。あたし、お昼食べ終わったら頃合見てそっちにいくから』だそうです」
「空のやつ……」
オレはお節介な幼馴染の名前を口にしていた。
「差し支えなければ、ご一緒してもいいですか?」
「お、おう。大丈夫だ」
あれだけ語っていた後だから、ドギマギしながら光子郎をオレの隣の席へ迎え入れた。
*
「おまえの弁当、美味そうだな。おばさんの手作り?」
「はい。そうです」
「おばさんの料理、美味いよな」
美味しそうに食べる光子郎の顔を見てると、オレも幸せな気持ちになる。
「そういやさ。光子郎はさ、デジタルワールドの研究を続けたいんだろ?」
「そうですね。出来れば、そうしたいなって思っています。けど、急にどうしたんですか?」
光子郎に聞かれて、オレは差し迫ってきたことを話した。
「そろそろまた、進路の志望書を出す時期が来るんだ」
オレに限らず、学生は定期的に学校から、自分の未来のことを聞かれる。早くからそんなことを決めているのは少数派だと、オレは近頃思っているけど。そんなオレにも、考えていることがあるんだ。
「オレさ、将来のことは決めきれてないけど。おまえの夢を守りたいって思ってるんだ」
「ぼくの、夢を?」
オレの言葉に光子郎は目をぱちくりさせた。
「おう。おまえの望みが叶うことはオレの望みでもあるし、あと、デジタルワールドや現実世界の関係が上手くいくのは、オレだけじゃなくて、仲間たちみんなの夢でもあると思うんだ。今、やれることは限られてるけど、今のオレに出来ることをやろうと思う。もちろん、努力もする。そのために光子郎、これからもオレに力を貸してくれるか?」
「もちろんです。あなたのためなら、喜んで」
光子郎は力強く頷いてくれた。
「それと」
「はい?」
「代表挨拶代理、頼んだぞ」
「はい。精一杯、頑張ります」
光子郎はオレに向かってはにかんでくれた。
6時間目。お守りの第二ボタンをポケットに入れ、着始めて日が浅い新しい制服を纏った光子郎は、篠塚さんの代理を見事に果たしたのだった。
fin.