太一さんの高校入試が終わり、そこから一週間後に中学の卒業式。そしてその翌日が、高校入試の合格発表だった。ぼくが受験したわけでもないのに、その日はずっとソワソワしていた記憶がある。お昼過ぎ、ぼくの携帯電話が鳴った。着信画面を見ると表示は太一さんだった。ぼくは急いで電話を受けた。
「もしもし、太一さん?」
『おう、光子郎。急なんだけどさ、今から会いに行ってもいいか? どこにいる?』
電話の向こうの太一さんの声は明るかった。
「家にいますよ。来られますか?」
『ああ。行ってもいいなら』
「大丈夫ですよ。お待ちしています」
『サンキュ。待ってろよ』
太一さんはそう言って電話を切った。太一さんのあの声の感じだと、いい知らせが聞けそうな気がする。
太一さんは十分もしないで、ぼくの家にやって来た。
「おばさんは?」
「買い物に出ています」
「そっか、じゃあ遠慮しなくていいな」
そう言った次の瞬間、太一さんは何も言わずにぼくに抱きついて、ぼくの胸に顔を埋めてきた。思いがけないことに、ぼくは思わず固まった。
「ど、どうしました? 太一さん」
ぼくの問いかけに、太一さんは黙ったまま答えない。
もしかして、もしかすると。悪い結果だったのだろうか。
「太一さん、黙っていては分からないですよ。怒ったりしません。ぼくはどんな結果でも、ちゃんと受け止めますから」
ぼくは太一さんに抱きしめられたまま、太一さんへ素直な気持ちを伝えた。
「あ、のさ。オレ……」と、ようやく口を開いた太一さんが言ったことは。
「合格だったよ。おまえの、おまえのおかげで受かったんだ。ありがとうな」
太一さんは顔を上げて、満面の笑みを見せた。ぼくは拍子抜けした。あれだけ溜めておいて、合格だったとは!
「もう! 驚かせないでください! ぼく、てっきり、不合格だったのかと思ったじゃないですか!」
「悪い。あまりに嬉しくてさ。おまえになんて伝えたらいいのか、おまえに会ったら、言葉が上手く出てこなくなっちまって。驚かせてごめんな」
嬉しいあまりに、言葉が出てこなくなる気持ちはよく分かる。そう言われて、ぼくはとても嬉しかった。
「太一さん、おめでとうございます。ぼくのおかげだなんて。太一さんが頑張ったからですよ」
「いいや。光子郎がいなかったら、絶対受かってないって。ほんとありがとう」
心からの太一さんのお礼に、ぼくも心から、
「いいえ、どういたしまして」
と、言葉を返した。
ふと、ぼくは立ち話が長くなりそうなことに気が付き、
「よかったら上がっていってください」と声をかけた。
すると太一さんは、すまなそうにして、
「そう言ってくれて嬉しいんだけど。オレ、このあと用事があるんだ。だからもう帰らなきゃ」と言った。
結果を報告するためだけに、わざわざ来てくれたことに驚きつつ、嬉しさを感じる。けれど、忙しい最中に申し訳なく思う。
「そうだったんですね。お忙しいのにすみません」
「おまえが謝るなよ。オレが直接言いたかったんだから」
「どこか行かれるんですか?」
「高校の制服の採寸に行ってくるんだ」
太一さんの一言を聞いて、ぼくの中に、寂しさがこみ上げてきた。そうか、もう太一さんと同じ学校に通うことはないんだな、と。
急に黙り込んだぼくを太一さんは不審に思ったようで、
「どうした?」と声をかけてきた。
「あ、いえ。太一さんが、本当に高校生になるんだなあって思って、それで」
「寂しいのか?」
「う……は、はい」
ぼくは俯いた。いつもは強がってしまうけれど、本当はさみしいと思うのだ。太一さんはそんなぼくの気持ちを汲んでか、こんなことを言い出した。
「心配すんなって。オレが高校生になろうと、オレとおまえの関係は変わらない。そうだろ?」
その通りだと思ったぼくは、黙って頷いた。
「高校生になってもさ、光子郎がうんざりするくらい会いに行くから。いまから覚悟しとけよ?」
そう言いながら太一さんは、ぼくの頭をくしゃりと撫でて笑った。
その日から、さらに二週間ほど過ぎた頃。
「制服、出来上がったんだ! 見に来いよ」
と、太一さんに電話で呼び出された。「すぐに行きます」と答えて、ぼくは急いで太一さんの家に向かった。
ぼくが太一さんの家のドアを開けると、そこには太一さんが待ち構えていた。
「よく来たな。上がれよ」
「おじゃまします」
太一さんの部屋に入ると、壁に掛けてあるハンガーに、見慣れない真新しい制服が掛かっていた。
「わあ。綺麗な色の上着ですね」
「だろ? 学校案内のパンフレットで見たよりも良くてさ。4月からこれ着るの、ほんと楽しみだ」
太一さんは笑顔だった。ぼくの心の中のさみしさは、相変わらず存在するけれど、太一さんが嬉しそうにしていると、ぼくも嬉しくなってくる。ここでぼくは思い切って、太一さんにこの制服を着ているところを見たいとリクエストした。すると、太一さんは快諾してくれた。のだけど。
「それじゃ、ちょっと部屋の外で待っていてくれ」
「いいですけど……ぼくが部屋の外に出る必要、あるんですか?」
「着替えするときにおまえがいると、ちょっとな」
「別にコソコソ着替えなくとも。ぼくたち男同士じゃないですか。恥ずかしいとかないでしょう?」
「いいや。着慣れない服の着替えを見られていると、なんか気恥ずかしくてダメなんだよ。それに着替えを見たら新鮮味がないじゃん。オレの制服姿が見たいなら、光子郎は一度、部屋の外に出る」
そう言われたぼくは、部屋の外に出されて太一さんの着替えが終わるのを待つことになった。太一さんの着替えを待つ間、コトに及んでる最中は、平気で恥ずかしいことをしてくるくせにな、と、ぼくは心の中で毒づいていた。
数分後。
「おまたせ、入っていいぞ」
太一さんがぼくを呼んだ。ぼくは太一さんの部屋のドアを開けた。すると、そこにいたのは――
「じゃーーん!」
先ほど見せてもらった、月島高校の制服に身を包んだ太一さんがいた。それはまさしく、高校生の太一さんだった。
「太一さん、とてもよく似合っています」
「だろ? 中学の制服が緑だったからなあ。すごく新鮮だし、なにより高校生、って感じがして、尚更いいぜ!」
太一さんは心底嬉しそうだ。だけどぼくは……。
「なあ、光子郎。なーんでそんな顔をしてるんだよ」
ぼくの曇った顔を太一さんは見逃さない。
「オレが晴れて高校生になれる、っていうのに。光子郎は嬉しくねえのかよ」
そうじゃない。そうじゃないのだけど――
「うれしいです、うれしいですが――太一さんが中学生になったばかりの頃を思い出してしまって」
お台場小学校とお台場中学校は、同じ敷地にないとはいえ、さほど離れていない場所に立地している。それでも、いくら近くとも、学校が違うという事実に、とても寂しさを覚えたのだ。
太一さんが進学する月島高等学校は、台場からさらに離れた、月島という地域だ。どちらかが会おうとしなければ、日常的に会うことはなくなってしまう。おおよそ自分らしくないと思っても、気持ちが抑えられなくなってしまった。
「太一さんとまた、離れてしまう。やっぱりぼく、寂しいです」
いまのぼくの顔は、きっと泣きそうになっていると思う。
少しの間の沈黙。先に口を開いたのは太一さんだった。
「なあ、オレから光子郎にお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「オレが着ているこの制服さ、着てみてくんない?」
「……は?」
太一さんの突拍子も無い頼みごとに、ぼくのさっきまでの気持ちはどこかへ飛んで行ってしまった。
「頼む! この通りだ!」
「はあ」
意外にも真剣な様子に、ぼくは戸惑いながらも、太一さんに言われるがまま、太一さんの制服に袖を通した。そして。
「くっ……。あっはっは! なんだよそれ、すげーぶかぶかじゃん!」
お腹を抱えて大笑いする太一さんに、ぼくはカチンときた。
「サイズの合わない服を無理やり着ているんですもん、そんなの当たり前じゃないですか! なに言っているんです!」
太一さんは変なツボにハマったのか、このあとしばらく笑い続けていた。そして、気が済むまで笑ったあと、「可愛いよ、すっごく」と、ぼくの耳元でそう囁いた。
「で、年上の恋人の制服を着てみた感想は?」
その一言で、太一さんが何故ぼくに制服を着せたがったのかが分かり、急に身体の熱が上がったような気がした。
「なーに、顔赤くしているんだ? 可愛いなあ」
「か、可愛いと言われても、ちっとも嬉しくありませんからね!」
ぼくだって男だ。可愛いと言われるのは、太一さん限定で嬉しく思ってしまうことも実はある。でも基本的には、嬉しくない。しかもそれを連発されるのは、心外だったりもする。
すると、そこへ。
「太一、あんた光子郎くんに、なにやっているのよ」
突然、太一さんのお母さん……おばさんがこちらを覗いてきた。太一さんは必要以上に驚きの声を上げた。
「か、母さんこそ! 勝手に部屋覗くなよ」
「太一、いくら仲がいい光子郎くんでも、届いたばかりの制服で遊んじゃダメじゃない。あんた、高校生になるんだから少しは大人にならないと」
おばさんの手厳しい言葉が、ため息混じりで聞こえてきた。言われた太一さんのほうを見ると、拗ねた表情をしている。
「光子郎くん、ごめんなさいね。うちの太一が――あら?」
おばさんは途中で言葉を止め、ぼくをまじまじと見てくる。不審に思ったぼくは、「あの、どうかしましたか?」と聞いてしまった。すると、「あっ、ごめんね。つい見とれちゃって」という思わぬ言葉が返ってきた。そしておばさんから、こんなことも言われた。
「その制服、光子郎くんによく似合っているじゃない? 髪の毛の色や肌の色に合っているし。
サイズをちゃんと合わせたら、とてもピッタリな気がするわ」
おばさんはそう言いながら、勝手に感心している。
「そ、そうですかね」
するとすかさず、太一さんはほくそ笑んだ。
「ほれみろ。月島高校の制服が似合う光子郎は、月島高校に来るべき運命なんだよ」
なぜか勝ち誇った顔をしている太一さん。と、そこへ。太一さんのおばさんが「太一が勝手に決めることじゃないでしょう」と、ピシャリと正論を言った。
「でも」
「でも、じゃないの。光子郎くん。太一と違って光子郎くんは頭も良いし、選択肢もたくさんあるんだから、いくら仲のいい先輩の太一に言われたからって、無理することないのよ。志望校はよく考えてね」
確かに。それは当たり前の話だ。太一さんに言われたから、といってもそれを選ぶ権利はぼくにある。
「あ、もちろん私が言った、制服の色が似合っている、ってことも気にしないでね。中学までと違って……あ、私立中学の子は別だけど。高校は自分で選ぶ最初の進路だから。もちろん、ある程度は親御さんの意見もあるかもしれないけどね」
「ご心配頂いてすみません。ぼくは大丈夫です。自分のことは他人に左右されずに決めるのが、ぼくの信念ですから」
そう笑顔で返すと、おばさんは安心したような表情を見せ、家事を再開するため、他の部屋へ行った。おばさんが部屋から十分に離れたことを確認してから、太一さんはぼくに向かってこんなことを言い出した。
「母さんはあんなこと言っているけど、オレと同じ高校に来れば、たった一年離れるだけで済むぜ? それに、オレとお揃いの制服着られるぞ?」
たった一年だけの辛抱と、太一さんとお揃いの制服。思いがけない口説き文句に、ぼくの心が揺らいだ。
「光子郎、早く来いよな」
「早く、と言っても。少なくとも、あと一年はかかりますよ?」
「え! じゃあ、いいのか!?」
「そうですね。前向きに考えておきます」
ぼくは微笑みながら曖昧に返事をして、答えをはぐらかした。
その時は太一さんには明言しなかったけど、ぼくの進学先はその時点よりもずっと前から、太一さんが志望校を決めて間もない頃から決まっていたのだ。そして。このときのぼくの頭の中に、とある計画が思い浮かんでいた。
実は、ぼくは高校受験の際、太一さんにだけ、どこの高校を受験するか言っていなかった。
つまり、太一さんには進学先を秘密にしていたのだ。それはなぜか。太一さんの驚く顔が見たい。
ただその一心だったのだ――
*
「えっ? 太一にドッキリを仕掛ける??」
ぼくが空さんとヤマトさんに、思いつきの相談を持ちかけたとき、ふたりは声を揃えて同じ反応をした。
「つまりあと十ヶ月近く、光子郎くんの進路のことを太一には黙っておくってこと?」
「さすがにそれ、無理じゃないか」
初めはこのように、空さんとヤマトさんは難色を示していた。確かに、この先数ヶ月もの間、
太一さんにぼくの進路について黙ったままにするのは、至難の技かもしれない。
「太一さんの驚く顔がどうしても見たいんです。協力してもらえませんか」
ぼくがそう頼み込むと、ふたりは熟考したあとにこう返事をくれた。
「光子郎くんは滅多にそんなこと提案してこないし……やれるところまでやってみようかしら」
「確かにそうだな。太一を騙し切るのは難しいだろうとは思うけど、面白そうだから光子郎に協力してやるよ」
このように、ふたりは了承してくれたのだ。
「ありがとうございます。空さん、ヤマトさん」
ここから、ぼくのちょっとした太一さんへのドッキリ企画は、相談を持ちかけた、空さんやヤマトさんを始めとして、太一さんの妹のヒカリさん、ほかの選ばれし子どものメンバーをも巻き込んだ大きめの企画になった。
ぼく自身も、さすがに途中でバレてしまうかな、と思っていたけれど、なんと、月島高校の制服が自宅に来るまで、太一さんには気付かれなかったのだ。
さて、太一さんにどうやって種明かしをしたのか、それもこれからお教えします。