Side:Koshiro
誰もいない教室で、ぼくは篠塚さんから預かった代表挨拶の原稿を見ながら、小声で読む練習をしていた。家でも何度も練習はした。だけど、何処かミスがあっては篠塚さんに申し訳ない。
自分が納得するまで読んだあと、ぼくは原稿を丁寧にたたむと、カバンの中へ大事にしまった。
そして、ぼくはほう、とため息をつく。
「今週末、太一さんの家にお泊まり、か……」
ぼくは、登校中に太一さんから言われたことを思い出していた。
(きっとアクシデントがなければ、ほぼ100%するんだろうな)
週末のことを考えていたら、ぼくはなんだかドキドキしてきた。
実はぼくも太一さんと……太一さんが言うところの「イイコト」をしたいって、思っているにはいる。淫乱と思われたら嫌だから積極的に言わないだけだ。いや、むしろ言ったほうが太一さんは喜ぶのかな。
少なくともぼくは、TPOを弁えているつもりだ。
誰が聞いているか分からないところで言い出すなんて。そういう時、太一さんのあの神経を疑うのだ。もしかして太一さん、ぼくの反応を見て楽しんでいるだけだったりして。
でも。
ぼくが初めて太一さんと身体を重ねた時、すっごく痛くて苦しかった。でもそれ以上に、太一さんが優しくしてくれた。何度もぼくの名前を呼んで、好きだって言ってくれた。彼に望まれていることが嬉しくて、ぼくは幸せで仕方がなくて。ぼくは太一さんのことがもっと好きになってしまった。
彼のそそっかしいところ、呆れてしまうところも含めて、ぼくは太一さんが好きだ。だからぼくが太一さんに対する愚痴をこぼしても、結局惚気話に変わってしまうのにはご勘弁いただきたい。
「そうだ。そういえば」
ぼくは別れ際に太一さんから言われたことを思い出し、カバンの中に入れていた「あるもの」を探り始めた。探り当てたそれは、小さなお守りだった。神社で売っているようなお守りではなく、ぼくのお母さんが手縫いで作ってくれたものだ。お守りの袋の部分は赤いフェルト。そしてそのフェルトの上に、稲妻型に切り取られ、縫い付けられた黄色いフェルト。ぼくのお母さん曰く、「これ、テントさんイメージなの」だそうだ。確かに、ぼくのパートナーデジモンであるテントモンは、赤い体をしているし、電撃を使うから、イメージぴったりなのだけれど……テントモンが電撃を使うってお母さん、見たことないはずなのに、いつ知ったのかな……ということは置いておいて。ぼくは、そのお守りの入り口を広げて逆さにした。すると、中から緑色をした、ひとつのボタンが転がり出てきた。そう、このボタンが、太一さんが中学を卒業するときにぼくにくれた、お台場中の制服の第二ボタンなんだ。
この小さなボタンにはいろいろなエピソードがある。
ホームルームが始まるまで時間があることだし、せっかくだから、この第二ボタンについての話をしようと思う。
*
時を遡ること一年二ヶ月前の2004年2月末。それは、太一さんがあと半月で中学を卒業する、というころだった。
「もうすぐ卒業ですね」
ぼくはそれまでの一年間を、感慨深く思いながら言った。
「この一年、あっという間だったよ。ほんと、ありがとうな」
「いいえ、どういたしまして。でも太一さん、お礼を言うにはまだ早いですよ? それは来週の高校入試で、志望校に受かってから言ってもらえると――」
ぼくがそう言うと、太一さんは痛いところを突かれた、というような顔をした。
「ああ、わりぃ。そうだった」
「まだ気を抜かないでくださいね。ぼくがあれだけ受験勉強にお付き合いしたんですから、受かってもらわないと困ります」
「うえー。手厳しいなあ」
「当然です。ぼくは太一さんの家庭教師を引き受けていたんですから。責任がありますし」
ぼくの口から出る言葉は、やっぱり厳しくなる。太一さんはこの一年、とても頑張っていたんだ。肝心の入試前に気が緩んで、それまでの頑張りが無駄になってしまうのは、とてももったいない。
「それ、光子郎だけじゃなく、オレも責任重大じゃん」
太一さんは大きなため息をついた。そんな太一さんを見たぼくは、太一さんを元気付けるように、
「あと少しの辛抱ですから。頑張りましょう?」
と声をかけた。すると太一さんはニッと笑ってくれた。
「ああ。ここまで頑張ってきたから、最後までやりきるさ。ありがとな」
太一さんはぼくの頭に手を伸ばし、くしゃっと撫でてくれた。
「いいえ」
太一さんの笑顔に、ぼくも自然と顔がほころんだ。
「それにしても、入試が終わったらオレも中学卒業か。もうあの制服を着ることも、無くなっちまうんだな」
どこか感慨深げに、寂しそうに言う太一さん。それを聞いたぼくの胸が痛んだ。そう、太一さんと同じ学校で過ごせるのも、あとわずかなのだ――
このときぼくは、意を決して、太一さんへある頼みごとをした。
「あの、中学を卒業される前に、太一さんにお願いがあるのですが」
「ん、なんだ?」
「卒業式が終わってからでいいので、制服の上着の第二ボタンを、ぼくに譲って貰えませんか?」
ぼくは緊張していた。太一さんは人気者だから、もうすでに、誰かに第二ボタンをあげる約束をしてしまっているんじゃないかと、内心不安に思っていた。
だけど、ぼくのそんな不安をよそに、太一さんから返ってきた言葉はこんなものだった。
「第二ボタン? そんなもの、貰ってどうするんだ?」
ぼくは思わず拍子抜けした。
「あ、あの……もしかして、ご存知ないですか?」
恐る恐る聞いてみると。太一さんは少し考えたあと、ぽんと手を打った。
「あ。もしかして、卒業式のイベント的なやつ」
「そうです」
「オレ、受験勉強で必死だったから、すっかり忘れていたよ」
太一さんはすまなそうに頭を掻いていた。
そこでぼくは、改めて太一さんにお願いをした。
「もし、誰かにあげる約束がなければ、ぼく、太一さんの第二ボタン欲しいです。ダメでしょうか」
太一さんの返事は即答だった。
「いいぜ」
「え、いいんですか?」
「おう、もちろん。光子郎の頼みなら聞いてやるよ」
そして照れた顔をしてこう続けた。
「卒業式も恋人らしいことしたいしな。第二ボタン、約束な」
それを聞いてぼくは、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「ありがとうございます」
「第二ボタンさ、卒業式のあとに渡すから。それまで待っていてくれ」
「もちろんです。よろしくお願いします」
こうしてぼくは、太一さんから第二ボタンを譲り受ける約束をした。
そうして迎えた卒業式当日。
式典は滞りなく終了し、校庭や校舎、昇降口・廊下は、友達や先生、校舎に別れを惜しむ先輩たち・在校生たちでごった返していた。僕は太一さんと事前に約束をしていた、待ち合わせの場所へと向かった。
待ち合わせの場所付近に着いたぼくは、太一さんの姿を探した。太一さんは目立つから、すぐに見つけられるだろう。
そして。
「あ、いた! たいちさ」
「八神センパーイ!」
「ご卒業、おめでとうございまーす!」
「……」
太一さんの周りには、サッカー部での太一さんのファンと思われる女の子たちがたくさんいた。
(分かってはいたけれど、これじゃ太一さんに近寄れない)
太一さんも、ぼくに気付いてはいるようだった。でも、目の前にいる女の子たちをおざなりには出来ないようで、笑顔こそ見せていたけれど、困った様子を見せていた。そんなとき、
「いずみせーんぱい!」
と、背後からいきなり声をかけられた。思わずビクッとしながら振り向くと、そこに立っていたのは京くんだった。
「なんだ……京くんでしたか」
「もう、そんなに驚かないでくださいよお。あたし、普通に声かけたつもりだったのに」
ぼくの反応が思いがけなかったようで、京くんは不満げにしている。
「ぼくにとっては不意打ちだったんです。でも、すみませんでした」
苦笑いを浮かべつつ、ぼくは京くんに謝った。
「で、泉先輩はこんなところで、なにしているんです?」
「え……、それは」
ぼくは思わず口ごもってしまった。
「なにか困ったことでもあるんですか? 泉先輩らしくないですよ。ソワソワしちゃって」
京くんの言葉を聞いた瞬間、助け舟かもしれないと感じた。そして現状打破のため、京くんに思い切って相談してみた。
「なるほど。つまり先輩は、太一さんとふたりきりになりたいんですね! 卒業式といえば、卒業しちゃう好きな先輩に告白が定番……って、先輩と太一さんは、すでに恋人同士でしたね! 失敬、失敬」
「ちょっと京くん、声が大きいです。誰が聞いているか、分からないんですから」
ぼくは慌てていた。太一さんは当時もサッカー部でエースを張っていて、目立つ存在で、さらに分け隔てをしない性格のため、男女問わず人気者だった。そんな人とぼくが仲良くしている、ということだけでも恐れ多いのに。太一さんとぼくは恋人同士なのだ。それにプラス、ぼくたちは男同士。同性同士の恋愛が、大多数の人の前でバレたら。こういう恋愛系の話に限って、何故かあっという間に噂は広まるから、収拾がつかなくなって、末恐ろしいことになる気がしてならない……と不安に思っていると。
「そんなに心配しなくとも。みーんなおしゃべりに夢中で、あたしたちの話なんて聞いていませんよ。ほら。周り、見てください」
京くんに言われるがままに周りを見渡すと、思い思いの先輩に対して、夢中で話している人ばかり。ぼくや京くんの話に、聞き耳を立てるような人物は、京くんの言う通り、確かに見当たらない。ひとまずぼくは、ホッと胸を撫で下ろした。
「よーし。泉先輩と太一さんの恋路を応援する、この井ノ上京が、泉先輩のために、あの群衆の中から太一さんを連れ出して来ます! 泉先輩、これ」
そう言って京くんがぼくに差し出したのは、パソコン部の部室であるパソコンルームの鍵だった。パソコン部の副部長である彼女が鍵を持っているのは、なんらおかしなことではないのだけど。それを何故、いま持っているのかと聞こうとしたとき、
「先輩は先にパソコンルームに行って、待機していてください。あたし、太一さんを必ず、泉先輩の元へ連れて行きますから!」
興奮気味にそう言い残し、京くんはあの群衆の中へと突撃していった。彼女の勢いに完全に気圧されつつも、ぼくは彼女のことが心配だった。だから、京くんが太一さんへのコンタクトに成功するまで、物陰から様子を伺うことにした。
「やがみせーんぱーい!」
大きく手を振りながら、京くんは太一さんへ呼びかけた。それに気付いた太一さんが京くんのほうを向いた。
「おう、みや……じゃなかった。井ノ上じゃないか。どうした?」
このやりとりを聞いて「あれ?」と思う人も多いだろう。京くんは中学に入ってから、元から名字で「先輩」呼びをしているぼく以外の……太一さん、ヤマトさん、空さんのことを、学校内にいるとき限定で「八神先輩」「石田先輩」「武之内先輩」と呼ぶことにしたらしい。もちろん、本人の了承済みだ。
男同士だとたいして気にはならないのだけど、女の人の界隈はなにかと難しいらしい。大変そうだ。
確かに、元々さほど目立たないぼくはともかくとして、太一さんはサッカーで、ヤマトさんはバンドで、空さんはテニスを始めとする運動全般が得意ということで知名度がある。それに、サッカー部のエースだった太一さん以上に、ヤマトさんは中学生人気バンドのヴォーカル兼ベースとして、おそらく校内で知らぬ人はいないくらいの有名人だ。
そんな相手に対して学校内で馴れ馴れしく、下の名前で「ヤマトさん」と呼んだりしたなら……きっと刺される。そんな気がする。なぜかぼくは悪寒がした。
時折暴走することもある京くんだけれど、そういう点については、上にお姉さんがふたりいるだけあって、女の人の人間関係のアレコレは分かっているのじゃないかと。勝手ながら、ぼくはそんなふうに想像する。
話を戻そう。ここから京くんと太一さんの短いやりとりだ。
「センパイ、お取込み中大変恐縮なんですけどー。二年間お世話になったお礼を、直接、どうしても言いたいっていう、センパイもよーく知る男子生徒がいまして。あたし、その人のこと、パソコンルームで待たせているんですけど、いますぐ来ていただく、ってこと出来ますか?」
遠巻きに京くんの言い分を聞いていたぼくは、思わず舌を巻いた。なるほど。そういう言い方があるのか。ぼくは素直に感心していた。昔よりは、人付き合いが苦手ではなくなってきたけれど、口実、いやアドリブを利かすのは、相変わらず苦手だ。だからこそぼくは、京くんのアドリブ力を見習いたいと思っているんだ。
「そうか。分かった、いますぐ行くから」
心なしかホッとした表情を見せた太一さんは、周囲にいた女の子に詫びを入れて、京くんとともに群衆の中から抜け出し始めた。
「京くんすごいなあ……って! のんびりと感心している場合じゃなかった!」
ぼくは慌てて、待ち合わせ場所であるパソコンルームへと急いだ。
なんとか先回りに成功して、パソコンルームの出入り口にたどり着いたぼくは、ふたりが来るのを、いまかいまかと待ちわびていた。すると五分ほどで、聞き慣れたふたつの声がこちらに近づいてきた。
「なあ、京。さっき言っていた男子生徒ってさ。もしかしなくても、パソコン部の部長?」
「ビンゴです」
「お。それ、久々に聞いたな」
「あたしもいつもいつでも、言うわけじゃないですけどねっ……あー! 先輩、お待たせしましたあ」
京くんは笑顔でこちらに向かって手を振り、走ってきた。
そして。ぼくと彼の距離がどんどん近づいてくる。
「京くんの行動力にはいつも驚かされてばかりです。おかげで助かりました」
そう言ったとき、彼との距離が一メートル以内になった。
「オレも全くの同感だ。ありがとな、京」
「いえいえ。どういたしまして」
京くんがお礼を言ったとき、彼はぼくのすぐ目の前で立ち止まった。そして彼はすまなそうな顔をして、ぼくに向かってこう言った。
「光子郎。待たせて悪かった。ごめんな」
「いえ、大丈夫です。太一さん、あの……ご卒業おめでとうございます」
ぼくが心からの祝辞を述べると。
「ありがとう」
太一さんは心からの笑顔で返事をしてくれた。
*
「これ、約束の第二ボタンだ」
鍵を開けてパソコンルームの中に入ったあと、太一さんはそう言って、ぼくに第二ボタンを差し出してきた。
「あ、ありがとうございます」
ぼくがなにも考えずに、素直に受け取ろうとしたそのとき、太一さんからストップがかかった。
「これをおまえにやるのに、オレからひとつ条件がある」
ぼくは少しだけ身構えた。
「オレの第二ボタンと、光子郎の制服の第二ボタンを交換する。それが条件。ダメかな」
その条件を聞いたぼくは、どういうことなのか、その言葉の意味を飲み込めずにいた。
「えっ。ぼくの第二ボタンとの交換ですか? ぼくはまだあと一年、この制服を着るんですが……」
ぼくは正直、困惑していた。太一さんは、今日で中学の制服を着るのは最後かもしれない。だけど、ぼくはあと一年残っている。なのに、どうしてそんな提案をしてきたのだろう、とぼくは疑問に思った。すると太一さんは。
「交換する、オレの第二ボタンを使うんだよ」
と言ってきたのだ。
「一年間、中学卒業までの間、オレのボタンを代わりに制服に付けて使ってほしい。学校が違っても、光子郎のそばにいられるように」
さらに太一さんは続けた。
「来年の中学の卒業式の日に、おまえに会えるとは限らないからさ。いまのうちに貰っておきたいんだ。オレ、光子郎の第二ボタン、誰にも取られたくないから。どうかな」
そう言われて、ぼくはようやく話が飲み込めた。第二ボタンの交換だなんて。そんなことを太一さんはいつ、思いついたのだろう。
「そういうことでしたら……喜んで」
ぼくは早々に自分の制服の第二ボタンを取り外し、太一さんに差し出した。太一さんはそれを受け取り、代わりに太一さんのものだった第二ボタンを、ぼくの手のひらに乗せてくれた。
「無理言ってごめん。交換してくれてありがとうな。大切にするよ」
「いえ。あの……ぼくも制服に付けて、大切に使います」
ぼくは貰ったばかりの第二ボタンを、そっと握りしめた。
この第二ボタンを卒業するまで使い続けるんだ。太一さんのものだった、このボタンを。
そんなことをぼんやり考えていたとき、太一さんの手がぼくの肩に触れた。そして、太一さんはぼくをまっすぐに見つめ、
「光子郎。オレは卒業しても、おまえのことずっと好きでいるからさ。だからおまえも、オレをずっと好きでいてくれよ」
と言った。
「心配しなくとも。ぼくは昔から太一さんのことが好きですし、信じていますし。それはこれからも変わりませんから」
ぼくの返事に、太一さんは嬉しそうに「ありがとな」と返してくれた。次の瞬間。
太一さんはぼくを抱き寄せた。そして。
太一さんの唇がぼくの唇に触れる。
ぼくは反射的に目を閉じて、ぼくは太一さんに抱き寄せられたまま、この身を任せていた。
こんなこと、たとえキス程度でも、学校内でしているところを見られたら、大騒ぎになりそうだ。だけどいまは、パソコンルームという隠れた密室に、ぼくと太一さんのふたりきり。それなら問題ないか。ぼくはそう思っていた。
「すっごくいいシーン……最っ高」
誰かが発したその一言で、ぼくと太一さんは、我に返った。そう、ぼくたちはパソコンルームに「ある人物」がいたことをすっかり忘れていたのだ。
「それに。男の子同士なら第二ボタンの交換、って手があるのね! ほどなる、ほどなる」
「み、京!?」
「いたんですか!」
「あたしがもし、男の子だったらなあ、同じ手口を使って賢くんと……」
「みーやーこっ!」
「ハイッ!?」
太一さんが強めに呼びかけて、ようやく京くんは、妄想の世界から戻ってきた。
「京くん。君はいつからそこにいたんですか」
ぼくが京くんに問いかけると、京くんから驚愕の言葉が返って来た。
「えっ、あたし……最初から、ずっとこの部屋の中にいましたけど」
「はあ!?」
「え、まさかまさか。泉先輩も太一さんも、全く気付いてなかったんですか?」
驚きの声を上げる京くんに、ぼくと太一さんはただ黙ってコクリと頷いた。
「んもう、泉先輩も太一さんも、あたしに気付かないくらいイチャイチャしちゃって。キスまで見せて頂いて、ごちそうさまです♡」
それを聞いたぼくは、ものすごく恥ずかしくなった。太一さんとふたりきりだと思い込んだ上、キスまでして……完全に油断していた。穴があったら入りたい。
そんなぼくの羞恥心はおかまいなしに、京くんはこんな質問をしてきた。
「あのう、第二ボタンの交換だなんて、超ステキ! って思ったんですけど、どっちが提案したんですか?」
それには太一さんが答えてくれた。
「交換したいと思ったのはオレ、欲しいって言ってきたのは光子郎から」
「へえー! 泉先輩、先約していたんですねー。すごーい」
京くんは素直に感心していた。
先ほどの恥ずかしさを引きずっていたぼくは、なんとか気分を変えたいと、疑問に思っていたことを太一さんに聞いた。
「ぼくの第二ボタンと、太一さんの第二ボタンを交換するって、いつ思いついたんですか?」
すると間髪入れずに、京くんも同意を示してきた。
「あ、それ、あたしも気になります! 差し支えなければ教えてください!」
ぼくたちの質問に太一さんは、嫌な顔ひとつしないで答えてくれた。
「昨日の夜、寝る前に。オレの第二ボタンをそのままあげても別によかったんだけどさ。なんか味気ないと思って。それで昨日ふと、光子郎の第二ボタンと交換なら記憶にも残るし、これだったら、ほかの誰にも光子郎の第二ボタンを取られなくて済むからいいな、って思いついてさ。我ながら名案だと思うんだけど、京はどう思う?」
「すっごくいいです。太一さん、天才じゃないですか?」
京くんは太一さんに向かって、興奮気味に返事をした。そして、思わぬことを口にした。
「あたしも賢くんに、制服の第二ボタンのこと、言っておこうかなあ」
京くんの意中の相手である一乗寺くんは、この時点ではまだ、中学に入学すらしていない。あまりにも気が早い京くんの発言に、ぼくと太一さんは思わず苦笑いした。
「おいおい。賢は京よりひとつ年下だろ? あいつまだ中学生にもなっていないじゃないか、なあ」
太一さんはぼくを見て同意を求めてきた。ぼくも同感だ。
すると京くんは。
「泉先輩も太一さんも分かってない。将来のことは、早め早めに考えないと! 『命短し、恋せよ乙女』って言うじゃないですかあ」
そう言いながら息を巻く京くんを横目に見て、ぼくと太一さんは、苦笑混じりのため息を吐いた。
しばらくして京くんと別れたあと、ぼくは太一さんと一緒に帰った。お互いが中学生での最後の下校だ。ぼくの胸には、迫るものがあった。だけど。太一さんは高校生になるだけだ。学校が離れるからと言って、心の距離も離れるわけじゃない。もちろん、お互いの努力も必要だと感じながら。
家に帰ってから、太一さんから譲り受けた第二ボタンを、太一さんに譲った、ぼくの第二ボタンの代わりに付けた。それを残りの在学期間中、ずっと使っていたんだ。そのボタンに触れると、不思議と太一さんがそばにいてくれるような気がした。
そしていま。中学の制服の上着から取り外した、太一さんに貰った第二ボタンは、お守り代わりとして持ち歩いている。
*
……と、これが、太一さんから貰った第二ボタンのエピソードだ。
京くんは何故か、ぼくと太一さんの関係が気になるらしく、その後も「最近、太一さんとはどうなんですか」と時折メールで聞いてくる。特段変わったことは無いけれど……太一さんとの、恋愛的なネタの話を期待しているのかもしれない。
だけど、その手の話なら、ぼくよりミミさんとか、空さんに聞いたほうが面白そうな話をしてくれそうだし、同性同士で付き合っているぼくたちよりは、京くんの参考になるんじゃないのかな、と思っている。
気がつくと、すっかり教室に人も増え、朝のホームルームが始まる時間になった。
だけど、時間が過ぎても先生が来ない。どうしたのかなと思っていると、5分以内に副担任の先生が来て、担任の先生が体調不良で休むことになり、一時間目は自習になることを告げた。
ぼくは先ほどの自習ノートを開いて、次の時間の予習をすることにした。
こんな時、クラスの誰かしらが話し始めるのは割とよくある話だ。
ところが、思いがけず、ぼくは席が近いクラスメイトに話しかけられた。
「気になってたんだけどさ、泉って篠塚さんと知り合いなの?」
聞かれたことも思いがけなくて、ぼくは「ええ、まあ」と歯切れの悪い返事をしてしまう。
「あとさ、あとさ、泉って入試でトップだったってウワサ、マジ?」
「先生から聞いた話、そうらしいですね」
「かーっ、すげえな。羨ましすぎるぜ!」
彼はいいよなーとか、どんな勉強してるの、と言ってきたけれど「あれ、待てよ」と不思議そうな顔をして「じゃあなんで、泉は月島受けたんだ? トップなら間違いなく頭いいだろ?」と聞いてきた。
「家から通いやすい学校に通いたかったから、というのが大きいですね。でも……もしよければ、勉強なら、いつでも教えますよ」
彼はたちまち目を輝かせ「えっ!」と言った。
「いいの? それだとめっちゃ助かる。おれ、数学がダメでさあ」
早速彼は、授業の分からないところをぼくに聞いてきた。
苦手な部分を聞いていると、彼も太一さんと似ているな、と心の中で思った。
ある程度解き方のポイントを教えると、彼は納得し、「またよろしくな」と言って自習に戻った。
静かにホッと息を吐いたぼくは、再び自習ノートに目を落とす。
確かに中学時代、ぼくの学力からすると、月島高校は勿体無いと言われていた。
月島高校の合格ラインとぼくの中学での模試の結果を照らし合わせると、ぼくの成績のほうが、かなり上だったことは事実なんだ。実際、先生には国立や高専を受けないか、有名私立校の特待付き上位クラスを十分に狙える、泉になら推薦はいくらでも出す、という様々なありがたい言葉を頂いていた。だけど――
それでも、ぼくは。月島高等学校を選んだ。
どうしても、この月島高校に進学したかったのだ。
それも、「太一さんがいるから」という、ぼくらしくない安直な決め方で。
でも、それだけが理由じゃない。
太一さんが。太一さんの真新しい制服を、ぼくに。
あんなことを太一さんにされたら。
誰だって、気持ちが揺れ動くに違いないんだ――
自習時間ではあるけれど、ここからこっそり月島高校の制服の話をする。よければ最後まで聞いてほしい。