ドーナツの甘い誘惑 - 2/3

「八神、ちょっと放課後、先生に付き合え」
 西島大吾からその言葉をかけられた時、八神太一は不吉な予感を覚えた。
 西島が太一を呼ぶ時は、学校の授業に関すること(主に西島の受け持つ書道や国語系の授業)や進路指導、そしてデジモンに関する事件……それのどれかだ。大抵は学校の授業や進路指導で呼び出されることが多いが、どうやら今回西島は、太一のことを太一のクラスの副担任として用があって呼んだわけではないようだ。となると。
「また、デジモン関連だな……?」
 学校外だと基本、西島の所属する「独立行政法人 国立情報処理局 情報通信戦略課 情報管理科」というやたら長い名前の組織の人間に、デジモン関連で連れまわされることばかりだからだ。
 いつもなら有事の際は有無を言わさず、半ば強制的に事件現場まで連れて行かれる。太一が昼間、学校で西島に声を掛けられた時は、いつもの白衣に星柄のTシャツ、7分丈のチノパン、そしてピンク色のサンダルという、ゆるさ漂う彼の定番スタイルだった。ところが、放課後に姿を現した西島は、例の組織活動をしている際のビシッと決めた黒いスーツ姿だったため、また何かあったのかと太一は内心身構えた。
 例の組織の護送車の助手席に太一を乗せ、目的地近くの駐車場に車を止めた西島は、車を降り、太一を“今回の現場”へと導いた。
「ここだ、目的地は」
「先生、ここって……」
 二人が立っていたのは、全国チェーン展開をしている某有名ドーナツ屋の前だった。
「八神。この前、書道教員室に置いてあった先生のシナモンロール、勝手に食べただろ」
「え、ええ、まあ」
 そう答えた太一は、確かあれ、結構前じゃなかったかなと頭の中で思い返していた。
「あれはな、あとで先生がゆっくり食べようと思っていたんだ」
「へえ、そうだったんですね……」
 太一は内心、西島が何を言いたいのか疑問だったが、無難に相槌を打っていた。
「罰として今から先生と一緒に、この店でお茶に付き合え」
「………えええっ!?」
 太一は思わず拍子抜けした。あれほど深刻そうに言ってきたのに。あの組織の一員としての正装の黒スーツ姿なのに。その目的がドーナツ屋に行くことだったとは。
 しかも、男二人で。
「先生! あのとき、オレに食べてもいい、って言ったじゃないですか!」
 太一は納得がいかないと、西島に突っかかった。すると 西島は、ムッとした表情で、太一にこう返した。
「あれは、お前がすでに一口食っていたから仕方なくだ。それに先生は、お前が勝手に食べたことを許すとは、一言も言ってないぞ」
「そんなあ」
 西島の言葉に、太一はがっくりと肩を落とした。そこに 西島は、改めて太一に先程の条件を持ち出した。
「だ・か・ら。いまからお茶に付き合え。そうしたら許してやる。ちなみに、これは先生の勝手だから今回はおごりだ。お金は気にするな」
「あ」
「なんだ、八神」
「もしかして、せんせ。オレとデートしたいんですか?」
 太一の発した一言を聞いた西島はひとつ咳払いをし、
「いや? 別にそういうつもりはない」と言った。
「強がっちゃって〜。図星でしょ?」
「……八神、お前なあ。大人をからかうんじゃない」
「もー。素直じゃないんですね、西島先生は。オレとデートしたいならしたい、って言えばいいのに」
「いや、先生は断じて、そんなことは……!」
「だって、オレと西島先生は付き合っているんだし。デートしていても、特段問題ないじゃないですか」
 公衆の面前で話すには、ある意味問題になりそうな発言をした太一を西島は咎めた。
「おい八神! 声がでかい! 誰か知り合いが聞いていたらどうするんだ!」
 西島は慌てながら周りをきょろきょろと見回した。すると、太一は悪びれもせず、
「ええ〜。ここは台場周辺じゃないんだし、先生気にしすぎですよ」と言った。
「本職ではないとはいえ、一応仮にも一介の教師として、相手が男とはいえ、生徒に手を出していることがバレたら……」
「それでも、先生はオレに手を出しているわけでしょ?」
 太一は笑顔でそう言ってのけた。西島の痛いところを突く太一のその一言には、さすがの西島もぐうの音も出ないようで、「全く……お前ってやつは……」とつぶやいて黙り込んでしまった。
「でも、どうしておごってくれるんですか? オレ、勝手に先生のシナモンロール食べたのに」
 太一の疑問に、西島は先程のうなだれ具合から立ち直って、その答えを話し始めた。
「いつもお前たちをこき使ってばかりだからな。たまにはご褒美だ。あ、でもこれは八神だけの特別だ。石田とか武之内とか、他の仲間たちには内緒だぞ? それに、デートの時は、年上が多く出すものだ。まあ、でも中には割り勘でやっている人もいるし、そのあたりは自由だとは思っているが、先生個人としてはそういう信条でな」
「あ、やっぱりこれ、デートなんだ?」
 西島の顔を覗き込みながら、太一はにやにやと笑った。 すると西島は、「それはいいから! 先生はドーナツセット買ってくる。だから、八神は適当なところ座っとけ」と言い残し、そそくさとドーナツが並ぶ注文カウンターへ行ってしまった。
「はーい」
 西島に聞こえているかは分からない返事をした太一は、西島に言われた通り、店内の適当な場所に座り、彼がやってくるのを待った。そして数分後、西島はやや大きめの箱を二つとドリンクを持って戻って来た。
「あ、先生。こっち!」
「おう、ありがとう。じゃあこれ……」
 そう言って西島が太一に差し出した箱には、びっしりとドーナツが入っていた。
「すげえ。あ、これ確かCMでやってた期間限定のやつ」
「そうだ。よく知っているな」
 驚き顔の西島に、太一は知っていた理由を話した。
「オレの妹が甘い物好きで、それで。新商品が出るたびにおごれ、おごれ、って言ってきてうるさいんですけど」
「ははは、可愛い妹さんの兄貴も大変だな」
「まあ……でも、なんだかんだ言ってオレにとって大切な妹なんで、言うこと聞いちゃうんですけどね」
「女の子は甘い物に目がないからな」
「いや、それは先生もそうだと思うんですけど。特にデジモン対策の組織活動の時の先生には、
甘い物が全然似合わない」
 太一がそう言うと、西島はむっとした表情をして、抗議をした。
「仕方ないだろう。甘いドーナツはそんな先生を誘惑するし、先生の癒しでもあるんだから」
 西島の表情を見てニヤニヤしていた太一だが、ふと思ったことがあった。
「ところでこれ、CMでは値段出てなかったんですけど、高かったんじゃないですか? オレも少しお金出しますよ」
 勝手に連れてこられたとはいえ、全額おごりのドーナツのセットが思いの外豪華で、なんだか悪い気がした太一は西島にそう提案した。しかし西島は、
「いや、いい。仮にも先生は社会人だ。高校生の八神に金を出してもらわなきゃいけないほど甲斐性がないわけじゃない」
と、太一の提案を退けた。
「それに知っているとは思うが、先生は八神が通う学校と例の行政法人に所属していて、その両方から給料を貰っている。だから金の心配はいらない。しかし……ものすごーく金持ちだというわけでもない。むしろ、仕事量からしたら割に合わない気もしているが……もう少し給料上がらないかな……と話が横道に逸れた。だから、おごるとは言っても期間限定のスペシャルドーナツも入った、通常よりもかなりお得なセットなんだ。だから、おごるとはいえそれで勘弁してくれ」
 学校の先生としては比較的真面目で、組織人としては粛々と任務をこなしていく西島は、甘い物が絡むと言わなくてもいいことまでベラベラと喋ってしまうようだ。
 そんな西島に太一は。
「ああ、別にオレは細かいこと気にしないから大丈夫ですよ」
 その発言から太一が割引やお得、というところでワーワー言うタイプではないことに西島は内心ホッとした。そもそも、高校生男子が気にするところではないだろうが。
「そう言ってもらえると助かる。それじゃ、この中からどれでも八神の好きなやつ、選んでいいぞ」
「じゃあ、オレ……これとこれ!」
 西島に言われるがまま、太一が勢い良く、自分の食べたいドーナツを選んだその瞬間、
「あ゛っ……」
 隣で様子を伺っていた西島の口からなんとも言えない声が漏れた。
「ん? 先生どうしたんですか」
「い、いや……なんでもない」
 なんでもない。
 平然と答えてはいるが、西島の目は確実に泳いでいた。 
 しかも、心なしか彼の目が涙目になっている。そんな西島の様子を見て何かを察した太一は、
「もしかして、先生……これが食べたいんですか?」と西島に訊いた。太一にそう問われた西島は、図星といわんばかりの表情を浮かべ、黙ってコクコクと頷いた。
「分かりましたよ、じゃあこれ。先生にあげます」
「……えっ、八神、いいのか?」
 そう言った西島の顔は嬉しさを隠しきれないようで、とてもキラキラしていた。西島のその様子を見て、太一は思わず吹き出した。
「先生、分かりやす過ぎ」
「わ、悪かったな、分かりやすくて。でも……本当にいいのか?」
「はい。……というか、そもそもこれ、先生のおごりですけど」
「あ、それもそうだったな。じゃあ、遠慮なく」
 例の組織の一員としてのスーツ姿のまま、自分が譲ったドーナツを嬉しそうに頬張る西島の姿を横目に見て、デジモン事件に対峙している任務中の彼の姿とのギャップにドキドキし、そして、密かに和んだ太一なのであった。

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