(太刀川さん……いったい、どこに行ったんだ?)
呼吸を荒げながら、僕は校内中を駆け回り、必死で彼女の姿を探した。そして。
(あっ! いた!)
体育館裏でうずくまっている太刀川さんを見つけた。僕は距離を取りつつも彼女の近くに駆け寄り、ためらいつつも声を掛けた。
「あの……太刀川、さん」
「……」
「教室、戻らないと……授業、始まっちゃいますよ」
太刀川さんは押し黙ったまま答えない。
気まずい沈黙が流れるまま、ふと僕は、周りに誰もいない今こそ、これまでのことを謝るチャンスかもしれないと、彼女に声を掛けようとした。そのとき。
「いずみくん、ごめんなさい……」
なんと、太刀川さんが謝ってきたのだ。
僕は驚いた。謝らなければいけないのは僕のほうなのに、と。
「あたし……自分中心なところがあるから……ちゃんと考えていなくて、泉くんにも迷惑を……」
それを聞いていた僕はたまらなくなって、勢いのまま、
「ごめんなさい!」と言った。
「……え?」
「ボクは、太刀川さんに、ひどいことを言いました。ずっと……どう謝ろうかと考えていて、それで」
太刀川さんは、ぽかんとしながら僕を見ていた。
「言い訳かも、しれませんが。理由は、どうしても言えないんですけど、ボクは、人とどう付き合えばいいのか、分からなくて。人付き合いが怖いんです。それで、うまく話せなくて」
僕は必死に話を続けた。
「うまく、話せないから、ボクは……君が……いや、君に話しかけられるのが、どうにも嫌で。それで、君の気持ちを考えずに、ひどいことを言って、傷つけてしまったと、思っています」
太刀川さんは黙って聞いている。
「それで、ずっと……どう謝ろうかと、考えていて。ほんとうは、もっと早く、謝るべきだったと思います。でも……いつそれを言い出せばいいのか……分からなくて」
「泉くん……」
太刀川さんは、僕をまっすぐ見つめていた。
「あの、どうして」
「?」
「どうして君が、ボクが『つらい思いをしている』って、言えるのか……その理由をいくら考えても、全く分からないんですが。こう言うのは、変かもしれないんですけど。ボクは、太刀川さんのことを、少しだけ……信じてみてもいいのかもしれない、と思いました」
「……ほんとう?」
「ええ、ほんとうです」
「……ありがとう」
太刀川さんは少しだけ笑ってくれた。その表情を見ていたら、何故か僕も少しだけ笑顔になった。
「それで太刀川さん、あんなひどいことを言ってしまったボクを……許してもらえませんか?」
僕は、恐る恐る彼女に聞いた。
「……うん、許してあげる」
意外にもあっさりと言われて、僕は内心びっくりしていた。だけどこれまでの、わだかまりが
解決し、とても安堵した。
「ありがとう、ございます」
こうして、僕と太刀川さんは和解することが出来たのだ。
その時。キーンコーンカーンコーンと、授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
「それじゃあ、教室、戻りましょう? ほら。授業、始まっちゃいましたし」
僕が彼女に提案すると、「戻りたくない」という、思わぬ返事が返ってきた。
「どうしてです?」
「泉くんのこと……悪く言うみんなのことなんか、キライだから、戻らない」
「でもそれは、先生が困りますよ。太刀川さんは先生を困らせたいんですか?」
内心、僕が困っていたのだけど、先生も困るだろうと思ってそれを盾にした。ところが。
「どうして、泉くんは平気でいられるのよ!」
怒ったように強く言う、思いがけない彼女の反応に、僕は何故だか動揺した。
「へ、平気って、何がですか?」
「みんなから、あんな風に言われて、どうして泉くんは、平気でいられるの……? 教室に戻りたくないとか、思わないの?」
太刀川さんは今にも泣き出しそうだった。
「平気、というか。平気では、ありませんけど……感情が麻痺しているのかもしれません」
「まひ?」
「ボク、うれしいとか、悲しいとか、そういうのが、あまりよく……分からないんです」
僕は自分でも思わぬことを口にしていた。
「変なの。そんなの、まるでロボットみたいじゃない」
悪気のない、素直な彼女の一言に、僕はグサリときた。
「太刀川さんの……言うとおりかも、しれません」
密かに思い続けていた胸の内を言い当てられ、俯いた僕に、太刀川さんは慌てた。
「あの、あたし……そんなつもりじゃ」
「いや、ほんとうに、太刀川さんの言うとおりだと思います。実は、その。ボクは、ロボットや機械みたいになれたらいいのに、と思っているんです」
「え? どうして?」
太刀川さんは不思議そうに首をかしげた。
「ボクは……もうこれ以上、自分が傷つきたくない、と思っているのかもしれなくて」
僕はこれまで誰にも言わなかった本心を、彼女に向かって話し始めていた。
「ロボットは機械だから、感情がありません。つまり、つらいとか、悲しいとか、そんな思いをしなく済むんです。それにもし、ボクが機械だったら……壊れたら、そこを直せばすぐに元通りになるでしょう? そういうものに、ボクはなりたい。……と、思っていますが。でも、ボクは……残念なんですけど、人間なので……そういうわけにも、いかないから。せめて、そういうことを……考えないようにするしか……できないんです」
僕の記憶のメモリも、取り外して、真っさらな新品と交換することができたなら。養子と知ってしまったことも、気まずい親子関係も、クラスメイトから無視されている現状も、全て忘れられるのに――
僕は本気で、そう思っていた。
「そうやって考えないようにしていたら、いつの間にか、感覚が麻痺してきた気がして……もしかしたら、本当にロボットになれるかも、なんて思ったりして。でも、一番は……ボクがいなくなればいいのかなって」
「え? それ、どういう意味?」
「ボクはきっと、本当はいらない存在なんです。ボクひとりがいなくなったとしても、みんな困らないだろうし。ボクがいなくなっても……何も変わらないから、きっと……」
自分で言いながら、僕は悲しさに耐えきれなくなりそうになった。ところが。
「そんなのいや!」
「たちかわ……さん?」
「あたしは、泉くんがいなくなったらさみしいし、悲しいから。だから、いなくなりたい、だなんて言わないで!」
太刀川さんの悲痛にも似た叫びを、僕は不思議な思いで聞いていた。
「太刀川さんは、自分が、他のみんなとは違う……同じ人間ではあるけれど、決定的に、違うところがあると知ってしまったら、どう思いますか? みんなと違う、というのは、とっても怖いんです。きっと、本当のボクのことを知られてしまったら――誰にも、嫌われてしまうと、ボクは思っています」
そう。本当の自分。それを知られてしまったら、きっと、太刀川さんやみんなだけじゃない。お父さんとお母さんにも――
「違うことの何がいけないの?」
「え?」
ぴしゃりと言った太刀川さんに向かって、僕は目を丸くした。
「あたしは、何があってもあたしだし、泉くんは、何があっても泉くん。それは、絶対に変わらないことじゃない。そもそもあたしたち、全然違う人間でしょ? 同じであろうとすることのほうがおかしいわ。それに、本当の泉くんがどうあろうと、泉くんであることには変わらないでしょ? 違うの?」
思いがけない太刀川さんの言葉を聞いた僕は、目が醒める思いだった。
「あたしは、本当の泉くんがどんな男の子でも、嫌いになったりしないわ。だから」
「ほんとう、ですか?」
気が付いたら、僕はそう、彼女にたずねていた。
「うん、ほんとうよ」
彼女は力強く、頷いてくれた。そんな彼女を見て、僕の中に、不思議な気持ちが湧き上がってきた。
「どうしても分かりませんが……やっぱり太刀川さんのこと、信じてみてもいいかな、と改めて思いました」
なぜかそう思える、彼女の言葉。僕は不思議な気持ちで満たされていた。
「……うれしい! ありがとう」
僕の言葉に彼女は、笑顔で答えてくれた。
「そうだ。あたし、ずっと気になっていたことがあるんだけど」
「なんですか?」
「泉くんって、あたしのこと、どう思ってるの?」
太刀川さんの突飛な質問に、僕は思わず固まった。
「どうってどういう……」
「友達とか、知り合いとかそういうのだと……どれに当てはまるのかな~って思って」
「それは……」
「それは?」
じっと見つめられて気まずくなったけど、ここは嘘をついても仕方がないと、正直に、
「同じクラスの人、でしょうか」と答えた。
すると、「え! あたし、友達ですらなかったの?」という驚きの返事が返ってきた。
僕は内心、同じクラスにいるだけで友達、だなんて、おめでたい人だな、と思ってしまったけど、ここはぐっとこらえていた。
そして、太刀川さんは少し考え込んだ後、
「それじゃあ、今日からあたしと友達になって!」と言った。
僕は躊躇ったけど、なんだか悪い気はしなかったから、いいですよ、と答えた。
僕の返事を聞いた太刀川さんは、とても嬉しそうにして「ありがとう!」と言った。
そして、彼女は思わぬ提案を、僕に持ちかけてきた。
「前よりお近づきになったしるしに、あたしからお願いがあるんだけど」
「な、なんですか?」
「今から泉くんのこと、光子郎くんって呼んでもいい?」
それを聞いた僕は、途端に慌ててしまった。
「そ、それはちょっと」
「ダメなの?」
間髪入れず、彼女は僕の目の前にぐいっと顔を近づけた。僕は両の手を前に突き出し、思わず後ずさりした。
「だって、ボクのこと、名前で呼ぶのは……お父さんとお母さんと、近所や親戚の人と」
「もう。そんなこと、どうだっていいじゃない!」
ふくれっ面をする彼女に僕はタジタジだった。
「それじゃあ、あたしのこと、ミミかミミちゃんって呼んでくれる?」
「そ、それもちょっと……」
困り果てた僕に、彼女はとんでもないことを言い出した。
「クラスで、あたしのこと太刀川さんって呼ぶの、先生と……光子郎くんだけよ?」
「!?」
いきなり名前を呼ばれたことにあたふたしつつも、僕は彼女に抗議した。
「ちょ……、ボク、まだ名前で呼んでいいって言ってな」
「言ったもん勝ちよ」
「そ、そんな……」
理屈の通じない、どこか勝ち誇った彼女の様子を見て、僕は途方に暮れていた。
「ねえ、光子郎くん。あたしのこと、下の名前で呼んで」
「うー……」
「呼んでってば」
「……」
「呼んでよ」
「……」
「ねーえ」
「……ミミさん」
「……え?」
「ミミさん、じゃ、ダメですか」
必死の思いで彼女に訴えると、
「うーん。あともうひと押し、ダメ?」
と、言われてしまった。
これでも僕としてはかなり譲歩したつもりだったから、
「これ以上は勘弁してください」と、懇願した。
「……もう、しょうがないわね」
不服そうな表情を浮かべつつも、そこまでで諦めてくれたようで。
「じゃあ、これからはそう呼んでね! 太刀川さんは禁止よ! 分かった?」
「ど、努力します……」
顔を引きつらせながら、僕は彼女と約束をしたのだった。
――と同時に、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
結局、その時間の授業は出られず、人生初のサボり――現時点では、後にも先にもそれだけなのだが――になってしまったのだけど。なんと、僕と彼女の一部始終を、担任の先生とクラスメイトが隠れて目撃していたらしく、サボりへのお咎めは無しになった。
彼女とのやりとりが終わった後、一斉に出てきたクラスメイトに僕は慌てた。
だけど、みんな屈託のない笑顔だったり、泣いていたりで。
「泉、おまえって、本当はすげーいいヤツだったんだな」
とか、
「泉くんのこと、誤解してた。本当にごめんなさい」
など、クラスメイトそれぞれから謝罪を受け、その日以降、クラスメイトから仲間外れにされることは無くなった。その時から、案外、小学生というものは単純なのかもしれないと、どこか達観した思いを抱くようになった。
あの日から間もなくして、僕と彼女は仲直りの記念写真を撮った。
そう。それが、例の「小学3年生のときの写真」だ。
こうして、僕と彼女――ミミさんとの不思議な縁は、始まったのである。