あたしは、夢を見ていた。昔、同じクラスにいた男の子の夢。彼はすっごく頭がよくて、なんでも知っていて、だけどとてもいじわるだった。
彼の名前は泉くんと言った。背がすっごく低くて、あたしの身長の半分くらいで、クラスでは前から数えたほうが早いくらい。
そんな彼に出会ったのは、小学3年生の春。あたしの通うお台場小学校では、2年おきにクラス替えがある。3年生はちょうどその時期に当たった。
あたしは、仲のいい友達と離れてしまわないか心配だったけれど、何人かは同じクラスになり、そして他のクラスにいた子ともすぐに仲良くなることが出来た。
そのクラス替えで、あたしは泉くんと出会った。
彼はクラスにいるのかいないのか分からないくらい、存在感のない男の子で、あたしも最初の頃は、彼に気にも留めていなかった。
そんな彼に興味を持ったのは、ある日のテスト返しの時だった。
泉くんは、返されるテストでどの教科も100点ばかり取っていて、クラスの子からもすごいとか、すげえという声が上がっていた。そして、また違うテストが返された時も、泉くんは100点を取っていて、あたしは気になって気になって仕方がなかった。
そこである日。あたしは思い切って泉くんに話しかけた。
「ねえ、ねえ! ねえってば! い・ず・み・く・ん!」
泉くんは、読んでいた本から顔を上げて、驚いた顔をしていた。
「泉くんって、どうしてそんなに頭がいいの? 教えてよ!」
「え……?」
「いっつもテストが返される時、全部100点じゃない! だから何か、ヒミツがあるんじゃないかって思って!」
あたしは意気揚々と泉くんに向かって言った。すると、彼から返ってきた言葉は。
「授業をちゃんと聞いていれば、普通に出来ると思うんですけど」
その答えに、あたしは納得しなかった。
「ええ! 絶対何かあるでしょ? 教えてよ~!」
「ええ……」
彼は困ったように目を逸らした。そんな彼にあたしは、
「ケチ! 教えてくれたっていいじゃない!」と凄んだ。
「ケチって言われても……知りませんよ、そんなこと。それに太刀川さん。少しは自分で考える、ってこと出来ないんですか?」
「自分で考えるって、何を考えるのよう!」
あたしが金切り声をあげると、彼は黙ってしまった。
「ねえ、無視しないでよ! 泉くん!」
「太刀川さん、あの……少し、静かにしてもらえませんか? ボク、本読んでる途中なんですけど」
泉くんはため息をつきながら続けた。
「それに、本を読めば答えが載っています。太刀川さん、少しは自分の頭で考えたらどうですか?」
それを聞いたあたしは、
「泉くん、ひっどーい!」としか返せなかった。
彼から離れると、あたしはクラスの友達から色々と聞かれた。
「ねえ、ミミ。どうして泉くんに話しかけたの?」
「もしかして。泉くんのこと、好きなの?」
友達からの質問に対する、あたしの返事は。
「別に好きなわけじゃないけど……面白そうだったから」
そう、ただの好奇心。あたしは何故だか、彼のことをもっと知りたいと思っていた。
この日は彼に話しかけるのを渋々諦めたけれど、あたしは負けじと次の日も、また次の日も泉くんに話しかけた。
最初は泉くんも、そこそこ普通にあたしの質問に答えてくれたけど、ある日突然、泉くんに異変が起こった。
「ねえねえ、泉くんってば!」
「……うるさい!」
「いずみ、くん……?」
「太刀川さん、ボクに付きまとって、楽しいですか? ボクは全然楽しくない。むしろ、とても迷惑です」
「え……?」
言われていることに、あたしはどうしたらいいのか分からなくなっていた。
「おい、泉。そんな言いかた、ないんじゃないか!」
クラスメイトの男の子が、あたしの後ろから怒ったように援護してくれた。
でも、泉くんはクラスメイトの言葉に耳を貸さず、あたしに向かって話し続けた。
「これから、ボクにつきまとうのは絶対にやめてください。もうボクは黙っちゃいません。ボクの視界に入らないでください。本当に迷惑なんで。次からは、絶対に許しません」
泉くんの言葉に、あたしは、こみ上げてくるものを抑えられなかった。
「泉くんのいじわる! 泉くんなんか、だいっきらい!!」
そう言い放つと、あたしは涙が止まらなくなって、その場で大声で泣いてしまった。
そんなあたしに、クラスの子は「大丈夫?」とか、泉くんに対して「あいつサイテーだ」とか言って庇ってくれた。その時の泉くんの表情は……ちょっと覚えていない。
だけどその日から、クラスのみんなが泉くんのことを無視し始めた。
あたしは、そこまですることは求めていなかったけど、みんながあたしをちやほやしてくれるから、それについては気にしなくなっていた。
ただ、あたしは一つ、心に決めていたことがあった。
「泉くんの弱みを、何か一つでも見つけてみせる」
そう、あたしにいじわるばかりしてくる泉くんに対して、どうしてもギャフンと言わせてみたかったのだ。
その機会は意外にもすぐに訪れた。
どうやら、泉くんのお父さんとお母さんが、先生に呼び出されて学校に来ることになったらしい。
それはクラスの女の子が教えてくれた。
そのことを知った時、あたしは閃いた。
泉くんのお父さんとお母さんが先生と話すところをこっそり聞いてしまえば、彼のヒミツが、弱みが分かるのではないか、ということを。
それであたしは、面談の時にこっそりと、話を盗み聞きしてしまおうと思った。
今思うと他人の話を盗み聞きするなんて、常識外れもいいとこ、とか、人として最低だと思うけれど……あの頃のあたしは、そうは思っていなかった。ただ、いじわるな泉くんの弱みを握ること。彼をギャフンと言わせること。それだけしか考えていなかった。
でも……あれはきっと、あたしが知ってはいけないことだった。
あの日、あたしは「一緒に帰ろう」と言う友達の誘いを断って、ランドセルを背負って、学校内をふらふらと散策していた。
もうすぐ、あれが始まる。
そう、今日は泉くんのお父さんとお母さんが学校に来る日だから。あたしは、何か情報を掴むまでは帰れない。そう思って、時間が過ぎるのを待った。
みんなが帰った後、あたしは自分のクラスの近くに、戻って来ると、泉くんと彼のお父さんとお母さん、担任の先生がそこにいた。
いじわるな泉くんとは違って、彼のお父さんとお母さんは、なんだかとても優しそうで、あたしは面を食らった。
そうこうしているうちに、まもなく面談が始まった。
あたしは、こそこそ隠れて、教室に向けて耳をすませた。
泉くんを交えた面談の、聞こえてきた会話で覚えていることは……。
「それでね、クラスのみんなが、泉くんが太刀川さんのことをいじめたって言うんだけど」
先生の問いに、彼はすぐに、
「ボクは、そんなことしてません! みんなが勘違いをしているんだと思います」と主張した。
「そうなの?」
「……」
(そんなこと言っちゃって……どうして嘘をつくの?)
あたしは悶々としながら、話を聞き続けていた。
それから数分後、教室の椅子の引かれる音に、あたしは一度、教室を離れた。
それからすぐ、泉くんは教室の外へ出てきた。教室の入口で、お父さんと少し何か話していたみたいだけど、彼のお父さんは教室の中に戻り、泉くんはお父さんに行くと言っていた図書室へと向かっていった。
(きっと、ここからが本題なのね……)
そう、本人がいない場所で展開される話はいくらでもある。テレビのドラマやアニメなんかでもやっていた。
あたしは勇み足で、もう一度教室へ向けて耳をすませた。
そこで、聞こえてきたのは……。
細かいところは忘れてしまったけど、確か、「泉くんが迷惑をかけていてすみません」ってことと、「普段、家では大人しいから……」ということと、そして……彼のお母さんの悩み事だった気がした。
先生と色々話しているうちに、泉くんのお母さんが静かに言った。
「あの子、家ではとてもいい子だけど、無理をしているんじゃないかって、時々思うんです」
「どうしてそう思うんですか?」
先生が泉くんのお母さんに質問した。
「実は……あの子は、私たちの本当の子供じゃないんです。養子で」
それを聞いたあたしは、びっくりしてしまった。
(ようしって何? 泉くんが、あのお父さんとお母さんの本当の子供じゃない? ……どういうこと?)
あたしは、そのまま話を聞き続けた。
「あの子はその事実を知りませんが、もしかしたら、気づいているんじゃないかって、最近思ってしまって。そう思うと、接し方がぎこちなくなって、あの子にもそれが伝わっていたのではと思うと……」
泉くんのお母さんの話を聞いていたあたしは、変な気持ちに襲われた。
(これって……絶対に知っちゃいけないことだったんじゃ)
彼の弱みを握りたかっただけなのに、あたしは彼の重大な秘密を知ってしまった。
あたしは、居ても立っても居られなくなった。その時は養子の言葉の意味がよく分からなかったから、分からないなら泉くんに直接聞いてしまおうと、あたしは泉くんがいるらしい図書室に向かって走っていった。
あたしは、彼を見つけるなり話しかけていた。
「泉くん、あのね! あたしどうしても聞きたいことが」
そこへ、あたしの言葉を遮るように、彼が、
「また、君ですか」と、悲壮感に満ちた目であたしを見た。
「もう、ボクのことを追い回すのはやめてください、って前に言いましたよね? 忘れたんですか? ボクは君に追い回されて、うんざりしているんです!」
泉くんは、歯を食いしばりながら、話を続けた。
「もうボクには近寄らないでください! 君が近くにいると落ち着かないんです!」
彼の言葉を聞いていたあたしは、なんだかだんだん悲しくなってきた。
「そもそも……ボクはひとりでいるのが好きなんだ。……誰もいないところに行きたい」
「……どうして?」
「ボクは、みんなとは違うから……みんなと同じじゃないから……だから、ボクの本当の気持ちなんて。本当のボクのことなんか、ぜったいに誰にも分かってもらえないんだ」
泉くんの本当の気持ち。それを聞いた瞬間、あたしは彼のお父さんとお母さんのことが思い浮かんだ。
「誰にも分かってもらえないなら。だったら、ボクは、ひとりでいたい。ひとりで、静かに……過ごしたい」
「泉くん……でも」
「太刀川さん。ボクは! ひとりになりたいんだ!!」
泉くんはそう叫んだ後、この場から走り去ってしまった。
あたしはその場で立ちすくみ、しばらくその場から動けなかった。
君と僕の距離 - 10/21
0