「……光子郎くん?」
誰かが、僕の名前を呼んだ。聞き覚えのある、懐かしい声。
そう、あの夏から3年が経ったいまでは、簡単には会うことのできない人の声――僕が驚いて顔を上げると……そこにいたのは、僕がいま、一番会いたいと願う人だった。
「ミミさん」
「こんなところで……なにしているの?」
あのときと同じ問いかけ。僕は少し黙ったあと、こう返した。
「あなたに呼ばれた気がして、ここに来ました」
ちょっと大げさだったかな、とも思ったけど、何かに呼ばれた気がしてゲートに飛び込んだから、あながち間違いじゃない。
「そうなんだ!」
ミミさんは明るく言った。
「実はあたしも……光子郎くんに呼ばれた気がしたの」
ミミさんの思わぬ返事に、僕の頬に熱が集まる。
『絶対、ぜったい、また会おうね!』
あのとき、空港に見送りに行ったとき。別れ際に、どうして「好きです」という一言が、言えなかったのだろう。
ミミさんを見送った後、自分の意気地なさに、何度も後悔した。
もう二度と、後悔はしたくない。
言うなら今しかない。僕はそう思った。
「ミミさん、大事な話があります」
「なあに、光子郎くん?」
「日本とアメリカ、東京とニューヨーク……とても離れていますけど。僕はあなたがアメリカに渡ってからも、あなたのことを忘れたことはありません」
僕は意を決し、あの言葉を放った。
「好きです」
ずっと、ずっと。ミミさんに、伝えたかったこと。
「僕は、ミミさんが、好きです」
「光子郎くん」
「あの、とても遠距離に、なってしまうのですが、それでもよければ……ぼ、僕とお付き合い、してもらえませんか」
僕はそう言い切った後、下を向きそうな顔を必死に固定させる。とても大事なことだから、下を向いてはいけない。平静を装いつつも、僕は必死だった。
「あたしなんかで、いいの?」
その一言に、僕は肝がつぶれそうな気持ちになった。というか、そんなことをミミさんが言うなんて、まさか。
「ミミさんなんか、じゃないです。僕はミミさんじゃないと、嫌なんです」
「ほんとにいいの? 後悔しない?」
ミミさんは、やたら念を押して聞いてくる。
「後悔なんて、するわけないじゃないですか。なにを言っているんです」
「ありがとう。あたし、すっごくうれしい」
ミミさんはとても嬉しそうに笑っている。
だけど、僕はまだ不安だった。
「あの、ミミさん。それってつまり――」
「OKに決まっているじゃない!」
「ほんとですか?」
「ほんとよ。あたしも光子郎くんのこと、好きだから」
こんな夢みたいなこと、あるのだろうか。
いや、夢かもしれない。
きっと、そうに違いない。
「なによ、光子郎くん。その顔」
夢か現実か、嘘か真か。その疑念がつい顔に出てしまっていたらしい。ミミさんは、僕の顔を凝視してムッとしていた。
「えっ……だって、これは夢なんじゃないかって思って」
「夢なんかじゃないわ。あたしはちゃんとここにいるもの」
そう言って、ミミさんは僕の手を握った。
ミミさんの手は、とても暖かだった。
「やだ! 光子郎くん、手、冷たいじゃない!」
「僕、結構冷えやすくて。ついさっきまでパソコンで作業していたから余計に……」
さらに、この状況に緊張しているから。
「んもうっ、こんなときまでパソコンのこと? ほんっと、光子郎くんはパソコンバカなんだから」
呆れたように言われて、僕は肩をすくめた。
「すみません」
「でも、そこが光子郎くんらしいところよね」
苦笑いしつつも、僕のことを認めてくれているミミさん。
「これからもよろしくね、光子郎くん」
「こ、こちらこそ。よろしくお願いします。ミミさん」
遠い未来のことまでは分からないけど、ミミさんとずっといい関係でいたい。僕は密かにそう願っていた。
「それにしても、こんなキレイな星空の下で、光子郎くんに会えるなんて……3年前に戻ったみたい!」
「そうですね、僕もそう思います」
「日本とアメリカ、いまのあたしたちって、まるで織姫と彦星ね!」
ミミさんの例えに、僕はとても気恥ずかしくなった。
「そ、そうでしょうか? あ、でも……日本の七夕は、もう過ぎちゃいましたけどね」
「それは知っているけど、別にいいじゃない。こういうのは気分よ、気分」
気分、つまりフィーリングで済ませるあたり、とてもミミさんらしい。
「あたしね、昔から、ずっと気になっていることがあるんだけど、質問してもいい?」
「いいですよ。どんなことでしょう?」
「人は死んじゃったらお星様になる、って話があると思うんだけど……光子郎くんはどう思っているのかなあって」
普段のミミさんから想像できない、意外な質問に僕は正直驚いた。
「また急に、どうしてそんなことを聞くんです?」
「光子郎くんは星を見るのが好きだし、なんでも知っているから……それに自分の考えも持っているし、聞いてみたいなって思っていたの」
星を見るのが好き、というミミさんのその言葉に、苦笑いしながらも納得してしまった。
「それって、いわゆる俗説ですよね?」
「ぞくせつ?」
「はい。昔話のような、民話のような、神話のような。言わば伝説、言い伝えのことを指す言葉です」
「ふーん、そうなんだ」
「僕は非現実的なこと、おとぎ話のようなことを本気にしてはいないのですが……天国はあるんじゃないかって思っています。というか、そう思いたいなって」
「どうして?」
「人が死んだとき、もし星になってしまったら、会えたとしても話すことは出来ませんけど……天国が存在したとすれば、いつかまた、そこで巡り会えると信じたいですから――」
*
『ここがおまえの、本当のご両親のお墓だ』
『ボクの……ほんとうの……』
僕は3年前、両親に本当のことを打ち明けてもらったときに、僕の実の両親が、僕が生まれてすぐに、交通事故で亡くなっていたことを知った。ずっと自分が、本当は何者なのか――どこの誰の子なのかが分からず、悩んでいたけれど、ようやく知ることとなったのだ。
僕は亡くなった、僕を生んでくれた両親の子供であり、僕を引き取って育ててくれた、いまの両親の子供でもある。僕がそのことに自信を持てるようになったのは、実の両親のお墓まいりをしてからだ。
僕があまりにも幼い頃に亡くなっているため、実を言うと未だにピンとこないこともある。
だけど僕にとって、どちらもかけがえのない、大切なお父さんとお母さんであることに違いはないのだ。
「一度だけでもいいから、会って話をしてみたいんです。星に願って叶うのなら、いつか僕がだいぶ年を取った、遠い未来で――」
話している途中、僕の目の前にいる人が黙り込んでしまっているのに気がついた。
「あ、あの……ミミさん?」
僕がミミさんの顔を見ると――なんとミミさんがポロポロと涙を流していたのだ。
「み、ミミさん!? ど、どうして……な、泣かないでください」
僕がそう声をかけたのは、むしろ逆効果だったようだ。
その言葉が引き金になって、さらに火がついたようにミミさんは泣き続けた。
ミミさんは一頻り泣いたあと、こんなことを言った。
「あたし、いつか光子郎くんが……ほんとうのお父さんとお母さんに、ちゃんと会えるって、信じているから!」
思わぬミミさんの言葉に、僕はたじろいだ。
でも、優しいミミさんのことだから、僕のために泣いてくれたのかな、と思うと嬉しくなった。
「ありがとうございます――」
「オレもそう、信じてるぜ」
突然、誰もいないはずの茂みから声がした。
驚いて声のしたほうを見ると、そこにいたのは――
「た、太一さん!?」
「よっ、光子郎! いやあ、おまえの告白には正直、こっちまで緊張したぜ」
「は?」
「うう、光子郎はん……泣かせますな」
「テントモン、君もいつからそこに」
「息を殺したままって案外難しいねえ。ほく途中で、くしゃみが出そうになったよ」
と言いながら、茂みの中からアグモンも顔を出した。
「んもう! アグモン。そんなことしたら、せっかく光子郎がミミに告白している、すっごくいいシーンが台無しになるじゃない!」
「……」
次から次へと顔を出す、テントモン、アグモン、パルモンの勢いに、僕はあっけに取られ、ツッコミをする気力もなくしていた。
そして、僕がようやく発した言葉は。
「あの、みんな、どうしてここに――」
僕の困惑の言葉には返事をせず、太一さんがこんなことを言い出した。
「オレ、おまえがミミちゃんに告白しているところ、全部聞いてた。3年越しの想い……叶って良かったな」
太一さんはそう言って、僕に笑いかけてきた。のだが。
「あ、ありがとうございます……って、ええっ!?」
僕は背筋が凍りそうに寒くなった。
さっきの太一さんの言葉から推測するに、どうやら、あの告白劇を太一さんに、しかもテントモンたちにも全て、聞かれていたようだ。……恐ろしい。
「いやあ、光子郎はんが勇気を出して、臨む姿を見とったらワテ……」
テントモンの話し声の最後のほうは、涙声になっていた。君は僕のお母さんですか、と突っ込みたくなる。
「アタシも! なんだかとっても、カンドーしちゃったわ!」
「ぼくもだよ〜」
僕たちのパートナーは、このあとしばらくワイワイと、それぞれ好き勝手に話題を広げ、僕は苦笑いするしかなかった。
「しっかしさ、オレ、ミミちゃんがあのことを言いだしたときはヒヤッとしたぜ」
太一さんが言ったことに、ミミさんは首をかしげた。
「え? あのこと?」
「いまはもう平気、って言ってもさ、光子郎が一番気にしていることなんだから、少しは考えないと」
太一さんは責めるような口調ではなく、優しく諭すようにミミさんに言った。それを指摘されたミミさんは、小さな声で「あ」と声を発した後、気まずそうな表情になった。
太一さんもミミさんも、僕の家の家庭事情はとっくに知っている。時たま、その話題が出ることもあるのだ。
「ごめんなさい……」
「いや、オレじゃなくて。謝るなら光子郎に、な」
「ごめんね、光子郎くん」
ミミさんは僕に向かって謝ってきた。
「いえ、僕は気にしていませんから。大丈夫です」
「でもま、そういうところも、ミミちゃんらしいんだけどさ」
そう言いながら、太一さんは苦笑した。
「それと。よかったな、ミミちゃん! 光子郎と付き合えることになって!」
唐突な太一さんの祝福らしいその言葉に、ミミさんは目尻に溜まった涙を拭いて「うん!」と嬉しそうに答えた。
「太一さんのおかげよ! ありがとう」
「いやあ、オレはなにもしてないって! 予想外のハプニングが起きたからな!」
これは、どういうことなのだろう……。
「………あの」
僕がこの展開に戸惑っていると、ミミさんと太一さんが顔を見合わせて笑った。
「オレ、ずっと前からミミちゃんに、おまえのことで相談されていたんだよ」
「!? 僕のこと、ですか?」
秘密裏に相談されているなんて、なんか嫌な予感がする。
「あのな。よく聞けよ。光子郎は3年前からミミちゃんのことが好きだっただろ? で、ミミちゃんもずっと光子郎のことが好きだった。つまり、おまえとミミちゃんは、ずっと前から両思いだったんだよ!」
「えっ……ええええっ!?」
僕はその事実に驚愕した。
「そのリアクションだと、やっぱり気づいていなかったのか」
「えっ、だって……。僕は、ミミさんが僕のことを好きだったなんて、夢にも思っていませんでしたし――それにそもそも、ミミさんから僕のことを好きだなんて、そんなことは一度も聞いたこと」
そのとき、僕の話すのを遮り、ミミさんがこう言った。
「だって、いつまで経っても光子郎くんから、なにも言ってこないんだもん! あたしから言えるわけがないじゃない! 普通、告白は好きな人からされたいものなのよ!」
「そ、そうだったんですか」
ミミさんから言われたことによって、僕はがっくりと膝をついた。緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのだ。
「おまえが奥手すぎるから、オレがアシストしてやろうかと思っていたのに。隠れてこっそり見ていたら、おまえからミミちゃんに告白していたから、オレ、びっくりしたぜ!」
「心外です。僕だって言うときは言いますよ」
「悪ぃ悪ぃ。許してくれ」
ムッとして言い返した僕に、苦笑しつつ太一さんは謝った。
「でもま、おまえが人間関係を築くのに、臆病になる気持ちは解るよ。一度出来ちまったトラウマは、なかなか無くならないからな」
確かに、太一さんの言う通り。一度受けたあのショックは、あれから何年も経っても、和解したとは言っても、簡単に払拭出来るものではない。いくら僕が、お父さんとお母さんのことが大好きだとしてもだ。
「でもな、光子郎。おまえには、オレたちみんながついていること、忘れるなよ」
「せや。それにワテはいつでも、光子郎はんのそばにおりますさかい」
「みんな、みーんな、光子郎くんの味方なんだから!」
言われた僕は、心の中にあたたかいものを感じていた。
「みなさん、ありがとうございます」
こんなに僕のことを思ってくれる仲間が、そばにいてくれるなんて。ああ、僕は本当に幸せ者だな、と。
今日つくづく、そう思った。