しかし、いざ止めてみても、この世界では他にすることがない。パソコンは起動するけれど、この世界ではインターネットが使えない。インターネットに接続さえ出来れば、いろんなホームページを見たり、メールを送ったりして、持て余した時間を潰すことが出来るのだけど……。
悩んでいるボクに、テントモンからある提案があった。
「せや、星でも見てみたらどうでっしゃろ」
「ああ、それもそうですね」
提案に納得して、ボクは星を見ることにした。
あの日、ファイル島で過ごした最後の夜。あのときに星を見てからというもの、見張り番で起きているときや、眠れないときに星を見る習慣が、ボクの中に再び定着した。
以前は「現実逃避」の意味合いしかなかったけれど、いまは違う。純粋に、この世界の……デジモンワールドの夜空がとても好きになったのだ。ボクたちの世界、いや東京の夜空とは比べ物にならないくらいの、綺麗な夜空。きっと、見ている周辺の環境のせいもあるだろう。この世界には、明かりがついている場所があるほうが珍しいからだ。
この世界の星空は、ボクたちの世界にある星座が全くない。その理由には……「この世界が、どういう成り立ちをしているのか」ということが関わっているとボクはにらんでいる。
ボクはファイル島にいた頃から、この世界はデータが実体化した世界なのではないかと思っていた。もしそれが本当だとしたら……知っている星座が夜空に無くても納得出来る。だってそもそも、ボクたちのいた世界とは、違う構成で成り立っているのだとしたなら。……ありえない話ではない。
知っている星座がひとつもない夜空なんて、普通は不気味にしか思わないかもしれない。しかし、ボクはこの星空に惚れ込んでいたから、知っている星座が何一つなくても、問題などないんだ。
でもそれは。もしかすると、ミミさんと一緒に星空を見たせいもあるのかもしれない。
それまでボクは、ひとりで星を見ていた。……当たり前だ。ボクが元の世界にいたころの、眠れないときにしていたのだから。ボク以外の誰かと一緒に星を見ることが、時間を共有することが、あんなに楽しいとはこれまで考えもしなかった。
あれからボクは、またミミさんと一緒に星を見たいとも思い、その機会をずっと伺っていた。だけど、サーバ大陸でも忙しない日々が続き、ミミさんのことを、なかなか誘えずにいた。
それにボクたちがこの世界にいる目的。
それは、この世界の平和を取り戻すこと。その目的のほうが、遥かに大切であることは理解している。だから、ボクのその願いは、自分の中に秘めているのだ。
その代わり、テントモンとこうして見張り番をしているとき、彼と一緒に星を見ている。だからさっき、テントモンからそう提案されていたのだ。
「さてと……」
サーバ大陸から望む星空は、同じデジモンワールドの中とはいえ、ファイル島とは見える景色も違う。ボクは立ち上がって空を見上げた。そして、心の中で歓声を上げる。
「ファイル島で見た星空も綺麗だったけど、こんなに広大な砂漠地帯……障害物がないから、一面が星の海。まるで天然のプラネタリウムだ」
プラネタリウムは、前に一度だけ行ったことがある。お父さんとお母さんに連れられて、隣町にあるプラネタリウムに観に行ったんだ……。
そんなことをぼんやり思い出していると、テントモンが星空に関する、こんな感想を漏らした。
「ワテ、光子郎はんと出会うまでは、この世界の星空を見て綺麗だとか、面白いだとか、思ったことは全くおまへんかったけど……こうして星を見るのも、ええもんやな!」
「君がボクのすることに、興味や理解を持ってくれて、嬉しいです」
するとテントモンは、胸を張ってこう返事した。
「そりゃあ光子郎はんは、いつもいつでも、星を見はりますからな! 嫌でも興味持ちますわ」
「あ、いやだったんだ?」
反射的にそう聞き返すと、テントモンは頭を掻く仕草をしながら、「あ、すんまへん。いまの失言でしたわ」と答えた。
「嫌だったわけではありまへんけど、興味はおまへんでしたな。光子郎はんが、どうしてそないに星を見てはるのかは、常に気になりますけど」
「だって、この世界じゃ出来ることが限られているからね。見張り番のときにすることは――辺りへの警戒と……さっきみたいにこの世界の謎について考えるのと……星を見ることぐらいだし」
そう言って、ボクが空を見上げた瞬間、夜空に最初の流れ星が現れた。
「あ、流れ星だ!」
「ホンマや!」
流れ星、というと、ファイル島にいた最後の夜の出来事を思い出す。
「流れ星に願いごと、……か」
ボクがぽつりとつぶやいた言葉に、テントモンが反応した。
「光子郎はん。なんですの、それ」
「ボクたちの世界にある俗説で、あの流れ星に願いごとをすると、その願いが叶うかもしれないんです」
ボクがそう教えると、テントモンは不思議そうにしながらこう言った。
「ほおー。人間っちゅうもんは変わったことしはるんでんな」
「そう言われてみれば、そうですね」
「そういうんを、ロマンチスト、って言うんやろか」
テントモンが発した言葉に、ファイル島でミミさんに言われたことを思い出して、急にドキドキしてしまう。
「光子郎はんは、流れ星に、なにを願うんでっか?」
「それは……すぐには出てこないですね。テントモンはどうです?」
「んー……ワテもすぐ思いつかへんやさかい、見張り番中、考えてみますわ」
「分かりました」
ボクは、夜空のほうに向き直った。満天の、雲ひとつない、綺麗な夜空。そして、流れ行く星々。
きっと、こんなとき、ミミさんなら――
「こんなとき、ミミさんなら『おうちに帰れますように』って流れ星に願うんですよ。彼女は素直で、いいですよね」
何気なく言ったことに、テントモンから思わぬ質問が飛んできた。
「あの、もしかして光子郎はんは……ミミはんのこと、好きなんでっか?」
「えっ! な、な、なんですか急に?」
ボクはテントモンの発言に慌てたせいか、若干声が裏返ってしまった。
「ボ、ボクがミミさんのことを好きだなんて、そっ、そんなこと、言ったことないですよね……?」
なんだろう、さっきから変な汗が出る気がする。
「まあ、聞いたことはおまへんけど」
「じゃあ、どうして」
「気がつくとあんさんは『ミミはん、ミミはん』って言うてはりますから」
「そ、そんなに言っているかな……」
自分では無意識なのか、全く身に覚えがない。そのことに少し、恐ろしさを抱いた。
「そういや、前に聞いた話、光子郎はんとミミはんは同じ歳で、光子郎はんらが元いた世界にある学校では、一緒のクラスやったんやろ?」
「う、うん。そうだよ」
「そのときから、あんさんらは、喋ったりしてはったんでっか?」
「いや……ほとんどありませんでした。たまに挨拶ぐらいですかね」
ボクは心を落ち着かせつつ、あのサマーキャンプに参加する前のことを思い出しながら、テントモンの質問に答えた。
「ふーん、それじゃあ、この世界に来るまでは、マトモに喋ったことがなかったんでっか?」
「ええ。だって、ボクとミミさんは、ただのクラスメイトでしたから――」
ボクがテントモンにそう言ったとき、何故だかボクの胸が、ズキンと痛んだ。
でも、事実だから仕方がない。
本来、ボクとミミさんは、友達でもなんでもない関係だったのだ。いや、現時点でも、同じ目的で旅をする仲間ではあるだろうけど、友達かどうかと聞かれたら――違うだろう。
いまは仲間として一緒にいるし、話したりもするけれど、元の世界に戻ったら、ボクとミミさんの関係は、いったいどうなるのだろう。
かつて読んだことのある、冒険活劇の児童小説には、冒険が終わると同時に夢から覚め、全てが夢の中の出来事であった、という内容のものがあった。
もし、この世界が……デジモンワールドが夢の世界だったとしたら。もし、キャンプ場で、いまなお倒れたままだとしたら。これまでの、この世界での経験や体験は、夢の話として片付けられてしまうのだろうか。
ひとつ、ボクの中に、この世界についてこんな仮説がある。この世界はデータ上の世界、いわゆるゲームやコンピュータの中の世界なのではないかと。そして、元の世界からボクたちがこの世界にやってきたとき、記憶が改ざんされたり、体の形や姿が変わってしまったりしていなかった。つまり、いまこのときも、現実の時間を過ごしている――
そしてそれは、元の世界に戻るときもきっと、そのままフィードバックされるのではないかと――となると、これまでのことは全て現実で、元の世界に戻ったとしても、その事実は変わりないのでは――というものなのだけど、確証は持てていない。
なにか、それを確実に、はっきりとさせる証拠があればいいのだけれど――まだ、確信に至るまでの証拠は得られていない。でも……。
「この旅が終わって、元の世界に戻ったら――きっと、何事もなかったかのように、元どおりになると思います」
そう、元々はただのクラスメイトの関係だった、ボクとミミさん。そんなボクらは、この世界での旅を経ても、きっと。
少しの沈黙の後、テントモンが思いもよらないことを言い出した。
「んー……ワテはそうは思いまへんけどな。ホンマは光子郎はんも……そう思っとるんちゃいますの?」
「え、どうしてそう思うの?」
「なんとなくですわ。少なくとも、光子郎はんらが、そのまんま、元の世界に戻りはるんやったら……この世界で、ミミはんと光子郎はんが、共に過ごしたという事実は、なにひとつ変わらんとちゃいまっか? 違いますの?」
テントモンが指摘したそのことは、実はボクの本心だった。
ボクの本心を的確に突くテントモンの言葉に、ボクは驚いた。
「……君には、なんでも見破られてしまいますね」
「なんや、やっぱり図星やったんか」
「ええ。そうです」
「そんなら、嘘つかんでもよかったのに。また、なんで嘘つきましたん?」
「それは……自分に自信がないことと一緒で」
ボクが俯き加減でそう言うと、テントモンは驚いていた。
「え? 光子郎はん、自分に自信がないんでっか?」
「正確に言うと『自分の存在に自信が持てない』というのが正しいのですが……」
「ふーん、自分の存在に対する自信、ねえ」
テントモンは、少し考えてから、
「ワテ、小難しいことは分かりまへんけど、光子郎はんが、光子郎はんでいてくれはるなら、それでええと思うんやけどな」と言った。
「でも、ミミさんはボクのこと、気にも留めていないかもしれないですし、やっぱり――」
ボクが他人と、必要最低限以上に親しくなるまでには……
まだまだ、時間が必要なんだ――